49段目3番
傷口と憂愁夫人
1回目の入院が6月17日から6月29日 2回目が7月11日から8月14日まで、ざっと1ヶ月と3日である
7月1日から7月9日まで、何度か今市病院に通った
小野という研修医が木曜日に今市病院へ出向くことになったので
彼が主治医となり、ぼくの治療を受け持った
けれど今市病院は辞め、また研修医として栃木医療センターへカムバックしたのだ
1回目の手術が6月24日に行われた
傷口が感染したのだが、ぼくは「そういうもんなんだろう」と楽観していた
そうじゃなかった
問題も問題、大問題で、再び入院と相成った
7月中、今市にいる間に、2度イオンへ行き、憂愁夫人とお目もじした
8月14日に退院してきてからは、何度も行った
入院2度目の12日の手術で埋め込んだプレートとネジを取り外し、8月7日には新たなプレートとボルトを埋め込んだ
新たに主治医となった山本先生が、すべて手術のメスを握った
リハリビ担当者は主治医に意見は言えないが、ぼくを撮ったレントゲン写真を見ることは出来る
8月13日に斎藤氏は言った
「もう感染の心配はない 主治医がどう言うかは知らないが、左肩を90度から更に持ち上げることをお勧めする」
と、主治医が到底認めない左の肩を、100度110度と上げさせた
今市病院でごく初期の頃
「1年後に埋め込んだプレートとボルトを取り外すが、それはあくまで本人の意思に委ねられる」と聞いた
山本先生は11月7日を目処にプレートを除去する腹だ
ただ、示しはつけたい
「そうは問屋がおろさない」と
憂愁夫人には痛々しい傷口を何度も見せた
最近、少し良くなる気配がある
憂愁夫人の憂いある横顔を目にする度に
「もう一息だ」と祈る自分が垣間見える
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