2025年6月27日金曜日

青江三奈の5曲 その2 恍惚のブルース

 二人


と、言うのは吉田拓郎と五木寛之のことではない

昔、影響を与えた人間はこの二人と書いた覚えがあるが、歌い手なら忌野清志郎、断然、二人だ

拓郎のラジオ番組にRCサクセションがゲスト出演したことがあった まだ三人組だった

拓郎はいろいろと聞いたのだが、清志郎を始め誰もウンでもㇲーでもなかった それで番組は終わってしまった

かかった曲は何だったんだろう? 「ぼくの好きな先生」と「日隈君自転車のうしろに乗りなよ」あたりか


清志郎は死んだが、拓郎は生きている

長生きしてる拓郎から漏れてくる言葉は「よく、やったよなあ」だろうか?

宿命のライバルであり心の友でもある仲井戸麗市もまったく同じコトを言っているではないか!








2025年6月12日木曜日

青江三奈の5曲 その1 伊勢佐木町ブルース

 同感


と思える部分が多々ありました たとえばリサマリーは儚げで哀しげで寂しそうな人でした、とか〜

プレスリーとアン・マーグレットは相思相愛だった、とか〜

夫がロジャー・スミスっていうのは初耳でした もう死んでるとは思いますが一応調べてみます

きのう5月31日時点でアン・マーグレットは84歳で、夫の方の年齢は分かりませんがドッコイ生きてます


タイミーとは何ですか? 四方温泉はどこにあるんでしたっけ?

19,20日と山口館で働いたのこと

そうそう、4月7日から復活させた聖書は只今歴王第一23章まで

休むこともありますが、6章読みます だいたい30分かかります



チェーホフの5冊 その5 サハリン島

 デビュー


は同じく1966年「恍惚のブルース」と「女のため息」

2人と結婚した森進一は果たして巨根だったのか?

「おふくろさん」で川内康範の顰蹙を買い、森は<流行歌手>名乗りだした 「襟裳岬」も「冬のリヴィエラ」もその範疇なのではないか

森より青江三奈は6歳上だ 「恍惚のブルース」の作詞は川内で作曲が浜口庫之助 いやあ、2人は絶好調でしたネ


花礼二のことは知っていた 大井町で同居し「でんさん」と呼んだらしい 膵臓癌で死んだが、弔辞を読んだのは水前寺清子 2人が親友だったなんて初めて聞いた

次々とヒットを飛ばした 「伊勢佐木町ブルース」「長崎ブルース」「池袋の夜」と続く

歌手になる前は西武百貨店池袋店で働いていたという


生年月日1941年5月7日 没年月日2000年7月2日



2025年6月6日金曜日

チェーホフの5冊 その4 犬を連れた奥さん

GReeeeN


を聞いて何故か荒木一郎を思った

「君といつまでも」の大ヒットも「空に星があるように」のヒットも1966年

あるテレビ番組が荒木より7歳年上の加山と競い合わせた

即興で作曲 どっちかがピアノで一方はギターだったような気がする どっちがどっちかは忘れた

当時ぼくは圧倒的に荒木一郎派だった


ウィキペディアを読むと機を見るのに敏なようだ

自身が所属する<現代企画室>のメンバーは杉本美樹、池玲子、芹明香、松田瑛子などなど また桃井かおりのマネージャーを務め8枚のアルバムを世に出した

伊藤果7段と自宅に将棋道場<果会>を作ってもいる

鰐淵晴子のヌード集をタッド若松の撮影で仕切った


1977年に「性的ないたずらをされた」と訴えられる 嫁さんの榊ひろみはそれで別れたと記憶している

相手とその婚約者を逆に告訴 果たして結果はどうなったのか?


荒木一郎は81歳で生きているが、松田瑛子は死んだ

生年月日1952年5月18日

没年月日2011年3月9日





2025年5月29日木曜日

チェーホフの5冊 その3 六号室

 帯状疱疹対応ワクチン


5月26日はただでやってくれる市の健康診断なので7:50ママチャリに跨がった 例の便所で小便を取ると次のコーナーに何とウエナカがいた

ついうれしくなってマサジの症状と「ヤスオちゃんが来月出てくるかもしれない」と大声で話す 地声も大きいのだが会えた興奮でもっと大声になってしまった

ウエナカが人差し指を口にあてがった


ところが最後の採血を終え下に降りるとウエナカが待っていてくれるでないか〜

と思いきや帯状疱疹のワクチンを打つ予定らしい


妙齢の女性がウエナカに近づくのでそれと分かった

彼女が去ったあと2,3年前に帯状疱疹にかかったことを自慢げに話す

左肩を折りそれも重症で3回手術しプレートとネジがまだ体内に残っていることも「取る気持ちはサラサラないのだヨ」それでバイバイした


ぼくはもう1度2階に戻り会計を済ませた



2025年5月23日金曜日

チェーホフの5冊 その2 三人姉妹

 死の恐怖はゼロ


ではありません

とよ子ちゃんと同じように幼い頃はそれこそ発狂しちゃうんじゃないかとさえ思いましたが、年を取るとともに穏やかになってきました

年を重ねれば重ねるほど死は身近に迫ってきます しかし、角がとれるのか丸く円く収まるようです

左肩はまだ自由を謳歌できません それは体内に残したプレート、ネジとは別の問題

どこまでも上に持ち上げようとすればやっぱ引っかかりがあります それだって生きている証なんだし

もしかしたら日光シルバー人材センターで昔やった草むしりをするかも知れません でも土、日は休みですから大丈夫

他の仕事に就くこともあり得ますが、土日と2日やり繰りしますから心配ご無用

きのう5月20日人材センターへ行ってきました 草むしり班の担当は福田さんのままで「ヨモギタさんが7月1日から働けるよう手続きをすすめたい」と言ってくれました

新村姉妹はガンで昨年なくなりました 5月18日に実家へ帰ったのでええちゃんから聞きました 旦那が病弱のためか誰もが逆転に驚いたということです もっと詳しく知りたいなら阿久津由子姉妹でしょう




チェーホフの5冊 その1 ワーニャ伯父さん

ゼレンスキー


は好きくない 戦うのはいけない たとえロシアの領土になろうと戦うよりマシなのではないか!

黒澤明の最後の愛弟子は小泉聡 黒澤は絵がすべてだし、小泉は理論派だ

ぼくにとってどですかでんまあだだよは最低だったしはどうこらえても最後まで見続けることできなかった