40段目5番
コンゴ
に、姪のひとりが住んでいたことがある
何年くらい前のことなのか?
己のこともおぼつかないのに
自分以外となればお手上げだ
コンゴは2つある
漠然とではあるが、左側の小さい方と思っていた
自信はまるでない
4ヶ月前にネット環境を買って以来、下調べが日常化した
コンゴと打ち込み検索した
ヨーロッパ列強(ポルトガル)が押し入って来る前
すでにコンゴ王国はあったのだった
で、いろいろあった
飛ばし読みしちゃったので詳しくは書けない
1885年のベルリン会議のあと
フランス領コンゴ、ベルギー領コンゴ、ポルトガル領アンゴラに分けられた
キンサシャの奇跡をご存知だろうか?
1974年10月30日に行われたアリとフォアマンの試合だ
ぼくはポン女で見ていた
左側の小さい方はコンゴ共和国、と名乗ってるようだ
ザイールという国は知っていたが、コンゴ民主共和国が名称を変えたとは知らなかった
スーダンの近所か、スーダンの前身くらいに捉えていた
アミン大統領を描いた映画(メイキング・オブ・スコットランド)をタイ時代にユーチューブで見た
それをコンゴ民主共和国なのでは、と勘違いしていた
映画といえばまだある
独立が2つのコンゴよりずっと遅かった、アンゴラの首都はルアンダだ
ところが民族構成を見るとフチ族もツチ族も出てこない
なら、あのドン・チードル主演の映画は何なんだ?
<ホテルルワンダ>であった
ルワンダはコンゴ民主共和国の右隣に、アミンの出生地ウガンダの下に、ブルジンの上に存在している
姪はいろんな事情が折り重なり現在、実家で暮らしている
目と鼻の距離の実家へは、月に1度帰っている
だから1ト月ごとに顔を合わすし、話もする
だが、今後姪に対し「滞在していたのはどっちのコンゴなの?」
と聞くことはない、に違いない
何を今更、何で今更の感をどうしても拭えない
それがぼくの行末(コンゴ)であるのだろう
関連詩 モハメッド・アリのファイト
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