2023年3月30日木曜日

小川洋子の5冊 その4 アンジェリーナ

 40段目5番

コンゴ


に、姪のひとりが住んでいたことがある

何年くらい前のことなのか?

己のこともおぼつかないのに

自分以外となればお手上げだ

コンゴは2つある

漠然とではあるが、左側の小さい方と思っていた

自信はまるでない

4ヶ月前にネット環境を買って以来、下調べが日常化した

コンゴと打ち込み検索した

ヨーロッパ列強(ポルトガル)が押し入って来る前

すでにコンゴ王国はあったのだった

で、いろいろあった

飛ばし読みしちゃったので詳しくは書けない

1885年のベルリン会議のあと

フランス領コンゴ、ベルギー領コンゴ、ポルトガル領アンゴラに分けられた


キンサシャの奇跡をご存知だろうか?

1974年10月30日に行われたアリとフォアマンの試合だ

ぼくはポン女で見ていた

左側の小さい方はコンゴ共和国、と名乗ってるようだ

ザイールという国は知っていたが、コンゴ民主共和国が名称を変えたとは知らなかった

スーダンの近所か、スーダンの前身くらいに捉えていた

アミン大統領を描いた映画(メイキング・オブ・スコットランド)をタイ時代にユーチューブで見た

それをコンゴ民主共和国なのでは、と勘違いしていた


映画といえばまだある

独立が2つのコンゴよりずっと遅かった、アンゴラの首都はルンダだ

ところが民族構成を見るとフチ族もツチ族も出てこない

なら、あのドン・チードル主演の映画は何なんだ?

<ホテルルンダ>であった

ルワンダはコンゴ民主共和国の右隣に、アミンの出生地ウガンダの下に、ブルジンの上に存在している

姪はいろんな事情が折り重なり現在、実家で暮らしている

目と鼻の距離の実家へは、月に1度帰っている

だから1ト月ごとに顔を合わすし、話もする

だが、今後姪に対し「滞在していたのはどっちのコンゴなの?」

と聞くことはない、に違いない

何を今更、何で今更の感をどうしても拭えない

それがぼくの行末(コンゴ)であるのだろう


関連詩 モハメッド・アリのファイト






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