38段目8番
映画監督相米慎二
が、アルバイト先渋谷道玄坂の <ちっちゃな赤鬼>に何回か出入りした
連れてきたのは同じ映画監督の細野辰興だ
当時はまだ相米の下、下働きに終始していた
細野さんは横浜放送映画専門学院の同級生だ
服をもらったりバイト先を紹介されたり、いろいろと世話になった
その細野さんが「監督に頼まれちゃったよ」と<日光下駄>を一足注文した
<日光下駄>は、ぼく愛用の下駄だ
学校へ下駄で通うことはなかったが、休みとなれば、宇都宮へ映画を見に行く時だってバッチリ下駄でキメた
30過ぎまで下駄を手放すことはなかった
細野さんが監督になったと風の便りに聞いた
そうこうしているうちに双葉十三郎が、彼の<シャブ極道>を邦画のベストテンに選出した
双葉十三郎といえば知る人ぞ知る映画評論家だ
嫉妬せざるを得なかった
また意外でもあった
細野さんが頭角を表すなら、プロデュース的な仕事だろうと思い込んでいたから
<シャブ極道>は確かにいい映画だった 役所広司はこれで一皮むけた
相米慎二が<日光下駄>を所望したのではなく、謂わば細野さんの点数稼ぎだったと睨んでいる
ぼくの夢は映画だったが(かすり)もせず67になり、あとは死ぬのを待つだけになった
相米は早死したが細野さんは監督になってから、それなりの映画を作り、今も歩みを止めない
それは細野さんの力だが、彼の小指の先くらいなら、日光下駄が一足噛んでいるのではないか!
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