36段目3番
野々市(佐世保2)
ぼくたちが第一陣だった
その後の1週間で日総に雇われた男たちが次々と到着し、総勢20名になった
○○工場での脱落者は1人だったと思う
さて野々への移動だ 先ず佐世保に出、新幹線で大阪へ向かった
大阪から飛行機 後にも先にも飛行機に乗るのはこの時だけだ
小松からは車だった気がする
野々市ではアパートが当てがわれ、ぼくが入った物件に同僚は1人だった
部屋には蛍光灯がなかった
すぐ買いに行った
丸型のヤツで嵌める際、落っことし木端微塵にしてしまった
もう1度買いに走る気力はなく、その夜は早々と寝た
39歳のぼくより年上は「41歳だ」という男だけ
年齢の条件に30代とあったのだ
面接時の履歴書に彼は何歳と書き入れていたのだろう?
野々市まで連れてきたのは、もちろん日総の社員だが、野々工場で日総の関係者を見かけることは滅多になかった
日総が送り込んだ工員を取り仕切るのは大きな顔をした男だった
その年の日本シリーズはヤクルトが勝った
広沢はまだ巨人に行っておらず4番を打っていた 低めの難しい球をライナーでバックスクリーンに運んだのは、確かこのシリーズだ
内藤尚行がよく投げた
ぼくたちは交替で休憩することになっていた
テレビのある部屋で中継を見状況を報告し合う
そうしたことが実際に大顔の男には面白くないらしく、その後テレビは厳禁となった
保険の外交員が勧誘ついでに日本シリーズのトトカルチョ(どっちがどういった星取りで勝つか?)の用紙を置いていった
ぼくのが当たってしまった
不機嫌さを露わにしたデカ顔の男から景品の万年筆を手渡された瞬間<辞める>決心をした
野々に来てまだ2週間だが勃起するような女工はいないし、それより近場に女がいない 未練はなかった
タイへ行く資金は、まだ半分も貯まってないが、やはり外交員の上の姉に丸め込まれ加入した唯一の保険を解約すれば、何とかなる
その時点の解約は損だと聞いたが掛け金分は戻って来た
○○工場と合わせれば2ヶ月以上一緒だった仲間がお別れの会を開いてくれた
思った以上に盛況だった
それとは別に○○工場では口を聞いたこともなかった、千田さんに誘われ2人で飲んだ
野々に来て間もなく千田さんとのコンビである仕事が与えられた それは小学生でも幼稚園児でも出来る仕事だった
「住むところが決まったら知らせてくれ 必ず返事書くから」
と、千田さんが言ったのでその通りにした
返事はいつまで経っても来ないのだった
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