34段目10番
運動会雑感
輪王寺幼稚園と日光小学校は、崖下の道路を挟んで隣り合っている
運動会になると園児は歩いて6分の小学校敷地内の高台に出かけ、その模様を見下ろす慣習があった
小学生になった
日光東中の運動会の日時を知れば、何はともあれ大急ぎで帰宅ランドセルを投げ捨て自宅から歩いて20分の東中まで<騎馬戦>や<棒倒し>に間に合うよう、息せき切って走った
それは抗しがたい誘惑だった
競技自体は苦手だ
幼稚園年少組の時、父兄参加の種目があった
園児が袋のようなものをかぶる
父兄(母だったはず)が太鼓をたたき音の鳴る方へ10メートル進む
一歩も動けなかった
これは臆病というより、三半規管が悪かったせいと思いたい
小学3年の頃まで<難聴>と通信簿の通信欄に何度か書かれた
走ったり跳んだりは平均より上なのだが、スケートもスキーもダメ、さらにカナヅチだった
バランスを取ることが思うに任せない
いまだに自転車の手放し運転ができない 見込みもない
運動会で一生懸命に走るのは、斜に構えるぼくにとってカッコいいことではなかった
ただ繰り返すが、雰囲気は大好きなのだ
社会人になって上京した
休みになると大学生のクサカリのいる大塚へ、よく遊びに行った
近くから運動会の音色が聞こえてきた
ぼくたちが紛れ込んで見物した小学校は何て言ったのだったか?
その頃、第三者が学校の敷地に入るのは、さほど難しいことではなかった
演目で一番好きなのは断然フォークダンスだ
もちろん「ほんとはイヤなんだけど」という態度を前面に押し出しはする
けれど同じクラスだって違うクラスだって女と正々堂々手がつなげるのだ
コロブチカのレコードがかかれば、今も身体が自然と動き出す気配を感じる
石嶋真弓の小麦色の太腿が(右)(左)とリズムに乗って交互に持ち上がってくる
中学の時には全学年合同のフォークダンスがあった
1級下のKの手もUの手もぼくは握った
高校の時だって家政科のNや、商業科の名前は忘れてしまったが女某と踊った
だが肝心かなめのマル田バツ子と踊ったかどうかが、思い出せない
中学は同じクラスで高校は隣のクラスだったから、踊ってないはずはないのだが
関連詩 石嶋真弓
0 件のコメント:
コメントを投稿