34段目5番
レット・イット・ビー
<東京オリンピック>は小学3年の時だった
ビートルズも来たのではなかったか
オリンピックのテレビ中継には入れあげたが、ビートルズの方は少なくとも(周囲)で話題になることはなかった
兄貴は当時、高校3年か浪人1年目だったはず
兄貴の影響でスマイリー小原ザ・ピーナッツの<ザ・ヒットパレード> 大橋巨泉の<ビートポップス>は見ていた
兄貴が持ってるレコードは渡辺マリの<東京ドドンパ娘> 弘田三枝子、田代みどりあたりだった
ここまで書いてビートルズの来日は1964年ではなく、1966年と承知した
2年の思い違いは大したことでなく、ぼくの昔にゃ影響しない
成長するにつれ<少年サンデー><少年マガジン>が自然と視界に入ってくるようにビートルズを知った
<イエスタディ>より<ミシェル>を好んだ
なぜって<禁じられた遊び>の女の子
ブリジット・フォッセーが最後に念じるコトバだったから
ビートルズとまともに向かい合ったのは中学2年の昼休み、音楽室で<レット・イット・ビー>を聞いてからだ
中学の3年間は、ずうっとホリウチ先生から教わった
小学校の音楽の成績が3より上になることはなかったが、中学に入るとなぜか4が主流になった
ホリウチ先生は「音程は良くないけど大声で歌うから、こっちまでうれしくなっちゃう」
なんて言ってたな
記憶違いかも知れないが1度だけ、5を貰った気がする
先生への第一印象は悪かったが、贔屓にしてくれればどうしても相手への点数は甘くなる
回りの目を気にせず昼休みに(大音響)でレコードをかけるのも(ポイント)だった
<レット・イット・ビー>が耳をつんざいた時には、感涙にむせんだ
気が向けば昼休み、音楽室へと出っ張るようになった
ブラスバンド部員が練習していることもあった
僅か3ヶ月で野球部を止めてしまった伴が「あれ、いいだろ」と言った1学年下の女はオーボエを吹いていた
女は途中で名字が変わった
ぼくが3年生になるとその子が、千葉へ転校して行った
どういう経緯でかは忘れたが、彼女の新しい住所が知れた
「これは啓示だ!」
と、ラブレターを出した
高校になると(ラブレター魔)へと華麗なる変貌を遂げる
だが、生まれて初めてのモノは己の名前を明かさぬ根暗な文章に終始した
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