34段目7番
下妻物語
といえば深田恭子だ(原作は嶽本野ばら)
ネット環境が整っていたチェンマイ時代、彼女の水着姿を求めて所謂ネットサーフィンをしたことがある
下妻へは6年通った 40後半から50にかけてだ
山一工業というピンハネ会社を通じてトステム(旧トーヨーサッシ)で働いた
4ヶ月か5ヶ月労働し、タイのチェンマイで冬を過ごした
下妻公民館の中に図書室があった 休みの日には必ず足を運んだ
そのうちに本物の市立図書館の存在を知り、そちらへ出向くようになった
ナワトビは多賀谷城跡公園でしていた
ひょんなことから砂沼遊歩道が見つかった
遊歩道から少しそれ、沼に突き出すように板敷があった
その上に乗っかって跳ぶようになった
沼の周囲を走る人につられて、何回かランニングの真似事もした
さて6年目だ それまではずっと同じ部署だった
サッシを押し出した金型にこびりついてるアルミを取り除くため、苛性ソーダを溶かした層に入れ込んでは、引き上げる作業である
サセさんは言った
「ヨモちゃんさえ良かったら働くところを変わってもらいたい 嫌だったらヤマちゃんを出そうと思う」と
ヤマダさんはいい人だ 俺よりだいぶ前から苛性室におり、主みたいな人だ
俺は承知した
しかしこれがトンデモなかった
アルミニウムを押し出した金型を苛性室へ運ぶだけなのだが、やることがひっきりなし、それにノルマがある
これまでは、就業時間の半分を小説読んでたって、楽勝だった
それなのに休憩時間も働く破目になってしまった
やってられない 辞めることにした
その年のお盆休みは7日あったが、最終日に給与は振り込まれる
お盆休みは毎年寮で過ごしていたから、どこかへ行ったり田舎に帰ったりしたら怪しまれる
7日目の早朝寮を脱け出すことにした
これでやっと下妻から解放される
飲まずにはいられなかった
関東鉄道の下妻駅に改札は1つしかない
反対側へ行くには跨線橋を渡らねばならない
降りてすぐに歩道橋がある
俺は歩道橋の階段を昇って行く
前方に高校生のカップルがいた
女はルーズソックスを穿きバカみたいに短い制服だ
もちろん酔っていた
「見えちゃうぞ 見えちゃうぞ」と喚きながら覗き込むのだった
2人が同時に振り返った
咄嗟に逃げ出していた
二十歳の頃、やはり高校生に追いかけられて取っつかまりボコボコにされた
今度は1度も後ろを見なかった 追ってきたのかどうかも分からない
50を過ぎて気づきだし、還暦を迎え確信したことがある
昔から逃げる行為が大好きだった
それは現実からの逃避に他ならない
だけど声を大にして言おう
「いったいそれの、どこが悪いのさ!」
関連詩 日光和楽踊りの夜
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