2022年6月16日木曜日

ルキノヴィスコンティの5本 その3 ルードヴィヒ

 33段目9番

チャングプアク病院


いったいいつからだろう エイズが騒がれだしたのは?

井上順が、吉田拓郎の深夜ラジオにゲストで出た

拓郎はかまやつひろしとの縁からか、堺正章にも井上順にも曲を提供していた

拓郎は面と向かって井上順を何て呼んでいたろう? 記憶は曖昧だ

「井上順て半音ずらして歌うじゃない? 森進一は意識的なんだけど、キミの場合そうじゃないから、厄介なんだよね」

そんなセリフのあと、井上順は唐突に言ったのだ

「ねえ、拓郎 聞いたことある エイズ?」

それで、エイズという言葉を知ったのだった

<HIV>がインプットされるのは、もっとあとだ

エイズとHIVは立ち位置が違うが、ここではすべてエイズと記す

初めてタイの地を踏んだのは、30の誕生日前だから1985年

まだその頃はアープオプヌアドอาบอบนวดの高い店も、冷気茶室とかの安い店も、こちらで準備して装着しない限り、生が原則だった

その旅行からは尻尾を丸めて帰ってくるのだが、中国旅行を終えたあとは、毎年タイに通うようになった

いつからかソープランドの女も、置屋の女も、各自コンドームを用意するようになっていた


酒の勢いがあった

妙な成り行きで、嵌めずにハメてしまった

激しく後悔した 頭の中がエイズ一色になった

検査するしかないだろうとチャングプアク病院の門を叩いた

病院は普通、高いビルヂングになってるものだが、その建物はバスターミナルの裏側チャングプアク通り路地の2に入り口を向けヘバリつくように建っていた

2階部分があったかどうか? 

死体安置室は地下だった

特急と普通の2種類あったが、もちろん特急にした

それでも結果は、1日待たねばならない 

2日目 答えは「まだかまだか?」と焦れていたら、ゲーンカーオラードแกงข้าวราด<タイのおかずかけご飯>屋のおばさんを見かけた

タニン通りにある店で、朝飯を毎日食べていた

時々おばさんの旦那や、2人の娘を目にしたが、店を切り盛りするのは、おばさんだ

あとで分かったが、彼らはすぐそこのタニン市場で惣菜を売っているのだった

ぼくのアパートは、ぶっかけ飯屋からタニン通りをサンティタムの方へ50メートル行った左手にあった

おばさんは気づかないようだった ぼくも気づかない振りをした 

病院に来てるのだから、どこかが悪いのだろう そういえば飯屋の商売をしなくなって、久しい

結果は(陰性)だった


それからどのくらい経っただろう?

抽送中にコンドームが破けてしまった 

感触で分かり途中で抜いた 

なので、感染の可能性は低いはずだが確率を論じてる場合ではない またしても脳みそがエイズに占領された

2回目となるチャングプアク病院は避け、1度治療費を踏み倒したことがあるスアンドーク病院で検査した

特急はなく、普通のみで4日待ちだった

検査料はチャングプアク病院が300฿ スアンドーク病院が200฿

お陰様で(陰性)だった


関連詩  スアンドーク病院




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