33段目9番
チャングプアク病院
いったいいつからだろう エイズが騒がれだしたのは?
井上順が、吉田拓郎の深夜ラジオにゲストで出た
拓郎はかまやつひろしとの縁からか、堺正章にも井上順にも曲を提供していた
拓郎は面と向かって井上順を何て呼んでいたろう? 記憶は曖昧だ
「井上順て半音ずらして歌うじゃない? 森進一は意識的なんだけど、キミの場合そうじゃないから、厄介なんだよね」
そんなセリフのあと、井上順は唐突に言ったのだ
「ねえ、拓郎 聞いたことある エイズ?」
それで、エイズという言葉を知ったのだった
<HIV>がインプットされるのは、もっとあとだ
エイズとHIVは立ち位置が違うが、ここではすべてエイズと記す
初めてタイの地を踏んだのは、30の誕生日前だから1985年
まだその頃はアープオプヌアドอาบอบนวดの高い店も、冷気茶室とかの安い店も、こちらで準備して装着しない限り、生が原則だった
その旅行からは尻尾を丸めて帰ってくるのだが、中国旅行を終えたあとは、毎年タイに通うようになった
いつからかソープランドの女も、置屋の女も、各自コンドームを用意するようになっていた
酒の勢いがあった
妙な成り行きで、嵌めずにハメてしまった
激しく後悔した 頭の中がエイズ一色になった
検査するしかないだろうとチャングプアク病院の門を叩いた
病院は普通、高いビルヂングになってるものだが、その建物はバスターミナルの裏側チャングプアク通り路地の2に入り口を向けヘバリつくように建っていた
2階部分があったかどうか?
死体安置室は地下だった
特急と普通の2種類あったが、もちろん特急にした
それでも結果は、1日待たねばならない
2日目 答えは「まだかまだか?」と焦れていたら、ゲーンカーオラードแกงข้าวราด<タイのおかずかけご飯>屋のおばさんを見かけた
タニン通りにある店で、朝飯を毎日食べていた
時々おばさんの旦那や、2人の娘を目にしたが、店を切り盛りするのは、おばさんだ
あとで分かったが、彼らはすぐそこのタニン市場で惣菜を売っているのだった
ぼくのアパートは、ぶっかけ飯屋からタニン通りをサンティタムの方へ50メートル行った左手にあった
おばさんは気づかないようだった ぼくも気づかない振りをした
病院に来てるのだから、どこかが悪いのだろう そういえば飯屋の商売をしなくなって、久しい
結果は(陰性)だった
それからどのくらい経っただろう?
抽送中にコンドームが破けてしまった
感触で分かり途中で抜いた
なので、感染の可能性は低いはずだが確率を論じてる場合ではない またしても脳みそがエイズに占領された
2回目となるチャングプアク病院は避け、1度治療費を踏み倒したことがあるスアンドーク病院で検査した
特急はなく、普通のみで4日待ちだった
検査料はチャングプアク病院が300฿ スアンドーク病院が200฿
お陰様で(陰性)だった
関連詩 スアンドーク病院
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