2022年6月4日土曜日

小林麻美の5曲 その5 哀しみのスパイ

33段目6番

イオン 2


レジの不具合を指摘してからイオンへは行っていない

ぼくは(正義)を吠えただけ

だから、売り場のはしからはじまで、堂々と闊歩していいはずだ

が、憂愁夫人に酒臭い息を吐きかけたと思うと「いまだに赤い顔して赤面してしまう」


梵天今市店で働いたことがある

まだ清原団地に越してきておらず、旧日光市の実家からママチャリで通った

みとやの交差点を下って、ガードの手前左側にジャスコ1㎞先左折の看板があった

昔、イオンはジャスコと言った

(標識)まで手が回らなかったのだろう

梵天はメニューを覚えられず、4日でクビになった


美麻村の遊学舎でバイトしていた時、休みの度に大町市のジャスコへ出向いた

買出しに行く車に同乗し、帰りは1日に4本しかないバスの最終1本前に乗った

信濃大町駅近くにあった図書館で、新聞雑誌を読みちらし開店時間を待った

1ℓ入りの缶ビールを3本は飲んだ

今市店は2階しかないが、ジャスコ大町店は5階か6階あったのではないか

4階に、背もたれも何もない割と広い木の台がところどころにあり、そこで飲んだ

酔いが回ってくると、寝っ転がってスペースを占領する


うとうとしかけた

「よもさん よもさん」

と、言う声が聞こえた

遊学舎の経営者、吉田さん夫婦だった

「これから吉田の実家に行くの 一緒にどう?」

と誘われた

その時ぼくは28だったが、2人は35くらいか?

吉田さんは端正な二枚目だ 手入れの行き届いた口髭が(ぼんぼん)であるのを物語っていた

カヨさんは小柄で美人ではなく勝気そうな顔「2人は何故結婚したのだろう?」と誰もが思ってしまうカップルだった

どういう訳か、ぼくはカヨさんに気に入られ独特のポジションを獲得していた

吉田さんの実家へは、車で1時間かかった


2階で昼寝をした

カヨさんが(箪笥)に用がありやって来た

「いつ上がって来るか いつ上がって来るか、と思ってた」

と、ぼくは言った

「まさかここじゃ、無理だわ」


遊学舎では台所横の(小部屋)に寝泊まりしている 

結婚前のキタさんが居たところだ

1週間前、飲み疲れた夜 

カヨさんが忍び込んできた

そしていきなり下半身に顔を埋ずめた

カヨさんは(総入れ歯)と聞いている

入れ歯を外すのを見たわけではないが、初めての感触だった

日本酒なら3合か4合で早漏から遅漏へと逆転する

その日も、発射はできなかった

が、カヨさんの漏らした声で、それなりの達成感はあった

吉田さんに悪いことをしたとか、吉田さんへの引け目はまったくないのだった


2年後の1986年4月、群馬の万座温泉ホテルで働くことにした

アルバイトニュースには常時募集がかかっている

遊学舎で知り合ったコーローさんに感化され、去年インドに行ってきた

ブログに繰り返し書き連ねたように(尻尾)を巻いて逃げ帰ったのだった

記憶は曖昧だが長野原でのことだと思う 

万座温泉行のバスが出るまで時間があったので、床屋へ行った

赴任前に自分で切ったのだが、長さがまちまちで犬コロみたいになってしまった

思い切って中学2年以来の丸坊主にした


厨房の下準備ってことだったが、雰囲気は悪かった

板長が言いたい放題威張っている

いつも募集があるのは定着率が悪いせいだろう

特に1人の男をこれでもかとイジメる

男にはイジメられている自覚が足りないように思えた

男に成り代わり口答えすると、板長はすかさず殴りかかってきた

腕を押さえつけようとしたが、左目にパンチを貰ってしまった

しばらく揉み合いが続いた

板長の弁慶の泣き所に蹴りが入ったはずだが効いたかどうか?

まだ名前も知らぬ人たちが、2人を引き離した

食堂のウエイターの何人かが様子を窺い、まるで異物を見るように、ぼくを見た

板長は万人から嫌われてるはずなのに、味方につきそうな奴はいなかった

男はずっと目を伏せたままだ


フロント隣の事務室で、女将と旦那に訴えた

「板長を即刻クビにしろ」

「あんたに板長の替わりはできないでしょう?」

ぼくの方がクビになった

2日分の賃金と、交通費の片道分をくれた

「2日で辞められちゃお金は出せないんだけど、あんたは特例だから」 だと

「それはそっちの都合だろう? 往復分寄こせよ」  

と言いたかったが左目が重くまだろっこしく、それが気持ちを萎えさせた

あとで鏡を覗くと、左目はほぼ潰れていた


バスは万座温泉止まりだったが、そのまま道を行けば長野に出られる

せっかくなので長野市に住むコーローさんにホテルから電話した

事情を説明すると面白がって

「おいでよ おいでよ 駅に着いたら、そこでまた電話しい」 

と、乗る駅と降りる駅を告げた

ヒッチハイクに挑戦したが腫れ上がった顔が怖いのか、なかなか止まってくれない

歩き続けるしかないのかと諦めかけた頃、やっと1台のブレーキがかかった

「その顔どうしたの?」

と聞いてくれたので、うっぷんを晴らすべく滔々と説明した

バカ親切なその人は、長野電鉄の上条駅まで送り届けてくれた

コーローさんが言った駅名とは違ったが隣の駅なんだそうだ

コーローさん一家の住んでた家は、一軒家だった気がする

外見、間取りは覚えていない 

何泊したかもハッキリしない


長野市内の路上で瀬戸物を売ったこととマリファナを貰って吸ったのは覚えている

それより何より、コーローさんはカヨさんから直接聞いて知っていたのだ 2人がハメ合ったのを

「よかったわあ!」と言いふらし、知らぬ者はいないらしい


2年前そして去年、川越の奥に位置するブロイラー処理工場で働いた

旅行資金を貯めるためだ

休みの日には長時間かけ、墨田区八広のアパートまで帰った

池袋のフードコートで何か食べるのがお決まりだった

アパートでは寝る時間しかなかったが、川越では1部屋に3人詰め込まれていた 

せめて休日には1人になりたかった

(ミネギシセイコ)から手紙がきていた

彼女とは遊学舎で一緒だった期間がある 

セイコは二十歳そこそこキレイな顔立ちで胸が大きかった

休憩室でうつらうつらしているぼくの上を、彼女が通ったことがある 

「人を跨ぐんじゃねえよ!」と怒鳴り上げた

親しい関係ではなかったのに懐かしがる文章のあとに、家の電話番号が添えられてあった

彼女の驕慢さを忘れて電話すると、母親らしいのが

「セイコは、また遊学舎へ行った」と言う


「名乗らずに、呼び出してもらおう」と心決めし、遊学舎にも掛けた すぐぼくだと分かってしまったようだが 

セイコからコンちゃんに変わり、吉田さんになった

コーローさんのセリフを信じれば、3人とも知ってるはずだ

「おいでよ またやろうよ」とあっけんからんと誘ってくる

「ひょっとすると、行くかもしんない」

興ざめて受話器を置いた


(オザワナオコ)はアフロヘアの3歩手前のようなヘアスタイルをしていた 

天然と聞いたように思うが、そうなら相当の癖毛だ 

飯田市に家があった

ぼくは運転ができないので買出し担当ではなかったが、何度か彼女と出かけたことがある

ナオコさんは

「セイコちゃんとコンテッサが、厨房でキスしてるのを見てしまった」

と運転中、前を見つめたまま言った

コンテッサは太目でニキビ面の眼鏡をかけた若者だ 

悪びれることなく、遊学舎にコンテッサで乗りつけてきた

コンテッサの片思いだったはずなのだが


オリンピックのマラソン中継を、ワークショップを開くとしょっちゅう愛知の常滑からやって来る男の部屋で見ていた

数人で賭けをした トップの選手を当てれば賭け金を總取りできる 

ぼくは宗兄弟の<弟>に賭けた

ナオコさんが押しかけてきて何やってるのよ キタさんひとりでてんてこ舞いヨ」と、えらい見幕だ

集合に30分近く遅れていた テレビは諦めるしかない

弟は4位で、名前が挙がった中ではトップだったが、メダリストでなけらばならぬ条件を満たせず、5,000円をふいにした


コーローさんの影響があったのかどうかは知らない 

生真面目なナオコさんは、 ぼくらより1年早くその年の秋にインドへと旅立った

半年の予定だったからもう帰ってるだろうと、川越の奥地でブロイラーと格闘する前に、手紙をしたためた

「インドで気をつけねばならぬことを教えてください」

オザワナオコは「ぼくに好意を抱いている」と、うぬぼれていた

人生に対しての真摯さに共鳴していたが、返事はなかなか来なかった


八広のアパートへ帰れば郵便受けを覗いた

セイコからの手紙を発見したのは、そんな折だった

やっと届いた返答の文は、醒め切っていた 取り付く島がなかった

ナオコさんが、カヨさんとのことを耳にしたかどうかは分からない 

可能性はあるが、確かめる術はない

「肩透かしを食ってしまった」という思いをぬぐい切れないのだった


関連詩  冥土への土産 インドへ 





 





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