2022年6月5日日曜日

ルキノヴィスコンティの5本 その1 地獄に堕ちた勇者ども

 33段目7番

スズキヤスオ


という名の日本人がいる

日本中で何人いるかは知らないが、ぼくの知るスズキヤスオから思い浮かぶのはオリヴィア・ハシーと上野さんだ

<スクリーン>は下の姉が買いだしたが、いつからかぼくの役目になっていた

もしかしたら今も納戸で眠っているかもしれない<スクリーン>にオリヴィア・ハシーはいない

ヤスオちゃんが切り抜き持ち帰ってしまったからだ

あの頃の人気は断トツだった 

無関心を装っていたが、実はぼくも(ファン)だった

ロミオとジュリエットはとにかく可愛かった 胸がはち切れそうだった

ロバート・ミッチャムの息子と共演したやつと失われた地平線は大愚作だ

50を過ぎて演じたマザー・テレサは、よくやったと言えるだろう

それより何より、ビックリしたのは布施明との結婚だ

森進一、野口五郎とで芸能界巨根三羽烏と称されていた 

いや、短足三羽烏だったか?


スズキヤスオはハードルが速かった

夜毎、稲荷町のグラウンドで練習に励むと聞いた

実際にハードルを並べたか否かは重要でない

この目で見たことはないが、練習に打ち込むヤスオちゃんの姿を想像するのは容易だ

そういう人だからだ


レースを見たことがある

何台目かのハードルを引っ掛けると残りのハードルも全部一定のリズムでなぎ倒し、駆け抜けていった 

もちろん1位だった

小学4、5、6と同じクラスで家も同方向だったから、よくつるんで帰った

「ウソばかりつきやがって」と何度も怒鳴られたが、語ってみただけだ

騙ったのではない


高校時代、上野さんはカトウマサジと同じクラスだった

下の名前は忘れた 

ヤスオちゃんは東中の上野さんは日中のバスケット部員だった 

それで見染めたのだ 

けれど、ちっとも美人じゃない

「あんなのの、どこがいいんだろう?」とマサジと言いあったものだ


ある日、スズキヤスオが米を何合か携えて蒲田の武内荘にやって来た

「上野さんに気持ちを告げたいから、つき合え」と

そんなもの済んだとばかり思っていた

「俺の想いは分かってるはずだが、もっと真剣に告白したいんだよ」

だと

その夜はインスタントラーメンを食べた

<サッポロラーメンみそ味>に(キャベツ)を大量にぶち込んだだけだが、やけに旨かった


上野さんは2階建てアパートの2階に住んでいた

どこの駅で降りたか、忘却の彼方だが、横浜方面だった気がする

調律師をしている上野さんは不在だった

残念至極!

ヤスオちゃんは階段の踊り場に、しばし佇むのだった


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