2022年5月2日月曜日

梨木香歩の5冊 その4 家守奇譚

 32段目10番

カウントダウン


週刊漫画アクションに連載されていたはるき悦巳じゃりン子チエを好きでよく読んでいた 

ビッグコミックオリジナルビッグコミックスピリッツに彼の文章が載ったことがある

「トラックの運転手を6ヶ月やり、残りの6ヶ月は引きこもってマンガを描いていた」

さすが、はるき悦巳 それは、ぼくの理想郷だ


ではあるのだが、20代は頻繁に仕事を変えていた 

長く続けることがどうしてもできない なので銭金に逼迫され、その日暮らしを余儀なくされた

30になりタイへ通い出し、少しずつ変わった

ある程度金が貯まるとタイへ行き使い果たし、また日本で働く

それを繰り返す だんだん働く時間が短くなっていく

そのうちに夏場半年働き、冬の半年をタイで過ごすローテーションが確立した


いすゞ自動車静和工場で3ヶ月働いた時は、残り9ヶ月をタイで優雅に暮らした

30代の前半は浴びるほど飲み、汗をかくためサウナへ行き、そこでもまた飲んだものだ

タイならサウナと同じ値段でソープランドへ行け、ビールは日本の5分の1もしない

おのずと日本にいる間は、徹底的に節約するようになった

タイに80万バーツの貯金があって、50歳を過ぎていれば、タイの外へ出なくとも、1年ビザの取得が何回でも出来る


なのだが働くことに前向きになれないぼくは、還暦前に貯金に手を付けてしまった

50万バーツになったところで、日本に骨を埋める覚悟で引き揚げてきた 62の時だ

であるから30以後のタイ滞在時間は、日本より遥かに長いのだ

だが言葉は上達しなかった 

チンプンカンプンでも暇さえあればテレビ画面を眺めていたし小林まことへば!ハローちゃんという漫画の日本語版とタイ語海賊版を、読み比べたりした 

やることはやったのだ ちっとも磨きはかからなかったが


歌うと誰からも指摘される ぼくにはリズム感が欠落している

だから「語学はリズムだ!」と長い間、頑なに信じ込んでいた

ところがどうやらそうではなかった

タイ語を聞けば、まず日本語に訳そうとする 

それが辞書に(どのように)出ているかも分かっている 

ただ、そのまま訳してしまうと日本語として成り立たない 

勉強なんかしなくても国語の成績はそこそこだったし、作文を書けば先生は褒めてくれた 

日本語には自信があった


パヤオ時代 

パヤオ大学で日本語を教えていたキクチの伝手で、2つある私立の語学学校で日本語を教えた 

働いてはいけない立場なのだが、各々2人ずつ計4人にマンツーマンで教えた

うち1人が日本語能力試験N3を受ける女子高生だった 

文法も教えなくてはならない <さ行変格活用>を習った気はするがまるで覚えていない

必死になって勉強し直した 

だが、彼女が生徒だったのは3コマだけ 

ぼくから教わるのを(拒否)したのだ

タイ語が上達しないのは日本語を(ろくに)知らないせいだった


繰り返すが暗くなれば、図書館から借りてきたDVD2本を見るのが常態化している

外国モノは圧倒的に英語が多い

中学から20歳にかけて、ちゃんとお金を払い劇場に何度も足を運んだ 

映画日記をつけてたくらいだ 「ぼくの青春は映画と共にあった」と言っていい

だが字幕があるからなのか、セリフは一言たりとも聞き取れなかった

今なら「ファック」とか「カウントダウン」だったら聞き取れる

アメリカ映画ならファックは1分に1回は発せられるし、次に多発されるのがカウントダウンだ

青春時代にはファックさえ素通りしたようだ 恥ずかしい!

カウントダウンは「落ち着いて、冷静に」って意味だ

聞き取れるようになったのは、きっとタイ語を聞き続けたおかげだろう


つい最近は日本語を知るには歴史や地理も(大切)と、図書館からいろいろと借りてきて学習している

年を重ねるにつれ、どんどん謙虚になっていくようだが三つ子の魂百までって諺もある

もうタイに行くことはないだろうが、この世に絶対はない

もしロト6の1等賞が当たってしまったら話は別だ たとえ1ドルが200円になってたってでもない

カウントダウンをタイ語に活かせるかどうか、ぜひぜひ試してみたい




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