2022年3月23日水曜日

大林宣彦の5本 その3 あの、夏の日

 32段目4番

整理整頓


五反田ではなく御殿場でガスケットを作る工場で働いてい時、わが生涯で一発目のギックリ腰に見舞われた

ギックリ腰は急性腰痛であって病名ではないとのことだが、ヤッテしまえばbefore afterもギックリ腰はギックリ腰、30代後半のことだった


大江健三郎の奥さんは伊丹十三の妹である 

漫画家寺田ヒロオの奥さんも最近知ったのだが、有名な誰かしらの妹らしい 

その誰かをどうしても思い出せない

少年マガジンとかサンデーを買うような児童ではなかったが、購読していた小学5年生6年生に連載されていたスポーツマン金太郎には随分と入れ挙げた

足柄山はお伽噺の架空の(場所)と認識していた

ところが実在したのだ

ガスケット工場は足柄山を越えた、ずっと向こうにあった


何かを持とうと身をかがめた瞬間(ギクッ)とした 

何しろ初めての体験だから先行きが不安になり早退した

通勤のためワザワザ買ったあずき色のママチャリで、1時間弱の距離をソロリソロリと漕いだ 

御殿場駅を通り過ぎ、黄瀬川沿いの提供された宿舎に着いた

1軒家で2部屋あり当初は相方がいた 

ずっと年下だが風呂場の取り扱いについて、懇切丁寧に微に入り細を穿ち説明するのだった

そいつが辞めてくれ心底ほっとした 

そうでなかったらギックリ腰を(乗り切る)ことなど出きなかったろう


状態はヒドくなり翌日自転車には乗れそうになかったので、小休止を入れつつ病院へと歩いた 

例によってグーグルマップで御殿場を調べたが、おそらく富士病院

時期を待つしかないらしく治療はせず、腰に巻くコルセットを渡された

早速装着したが(夏)真っ盛りで暑苦しく、すぐに外した 

大金を支払ったモノなので、しばらくは持ち歩いていた

結局、実家の3段だけ使わせてもらっている箪笥の奥深くに仕舞い込んだ


この清原団地に越してくる際箪笥はカラッポにした

その時、処分したのだろうか?

仕事は1週間休んだ

快復に向かうと川岸でナワトビに励んだ 

片側が1メートル幅にセメントで固められてある

肉離れにナワトビは禁物で歩くのが一番だ

ギックリ腰はナワトビが最適なのだが癖になる

そのせいで3箇所の工場を辞めざるを得なかった

 

全国津々浦々様々な工場で働いてきた

まずは図書館を捜すことから始める 

おそらく100近い図書館に出入りしたろう 

これまでの№1は町田市にあった図書館で、№2が茨城県の神栖図書館

そこでもギックリ腰をヤッテしまった 

仕事が半端じゃなくキツかった

「いい機会だ」と辞める決心をしたが、秘密にしておいた 

神栖図書館には見たいDVDが山ほどあったのだ


タイのチェンマイでもパヤオでもバンコクでもギックリ腰は襲ってきた

パヤオの湖畔を走っていた時(グキッ)ときた 

高貴な匂いを放つ花木であるラムドゥアンというアパートに住んでいた時だ

横になるコトも(じっと)しているコトも出きない

3日3晩ヒタスラ歩き回った

これまで慣れ親しんだギックリ腰とは明らかに違う 

家庭の医学ポケット版を熟読し腰部変形性脊椎症と診断した


メーサイでのコトだ

ビールの飲み過ぎで小便を我慢できず、止めて貰って(用足し)した 

それを2回繰り返したところでバスは先送りした

「とにかくへ出なければ」と走り出した

右足が地面を踏み抜いた感触があった 

歩けなかった 

それこそ地を這うようにしてウィアンパーパオの宿屋にたどり着いた 

身動きママならず3連泊した

脊椎すべり症だ 

腰部変形性脊椎症では、走れるようになるとスピードも甦ったが今回はならず、結句、走るのを止めたのだ


28歳の時、右翼に殴られ右目を腫らした 

1年経っても100%元に戻ることはなかった

縫い針を眉毛の下に突き刺し血や膿みを絞り出す 

駅のトイレやデパートでの血抜きのため(縫い針)を懐に忍ばせた一時期があった

この辺で整理整頓をしたい

「目がビッコになったのは右翼のせい」と長いこと判じてきたドーモそれだけではなさそうだ 

ギックリ腰で骨盤が歪み切ってしまった(影響)もあるのではないか?

走らなくなって2年過ぎたがストレッチはしている 

10年以上続けている

背骨が左に大きく捻じ曲がり、両足の長さが違ってしまい身長が3センチ(強)縮んだ

それを矯正すべく始めた 

当初は諦めが先に立ったが、3年くらい前から思いがけず結果が出だした


ところが上の姉は実家に帰るたんびに「飲み過ぎじゃないの 随分と瞼がふっくらしてることと、のたまうてイジメる

冗談じゃない 1週間の3日か4日は休肝日にしている

飲むと右瞼が腫れるようになったのは、つい最近だ 

10年前はこんな風ではなかった 

10日飲み続ければ両目とも腫れた 

つまり顔全体がムクンだ

きょうこの頃は、右目だけ腫れる 

左目はいつだって涼やかな二重瞼だ

これは背骨が湾曲し、使えなくなっていた筋肉がストレッチによって再び(律動)しだした証左なのだ


「酒のせいと勘違いをしている姉の誤解を解くにはどうしたらいいでしょう?」

チェンマイで知り合い、今は瀬戸内の島に住む(ともちゃん)にメールした

「病院へ行くか、1ヶ月の酒絶ちしかないでしょう!」

<ともちゃん、お前もか!>

市が無料で行う健康診断は毎年オールAだ 

オイラの肝臓はピンピンしてらあ」 

このままストレッチを続け、3年後に鏡を覗けば、たとえどれほど飲んだとて右目も左目同様、涼やかに見返してくるに違いないのだ


追記 奥さんは中村八大の妹でした。


関連詩 首の解放もしくは開放そして快方 








 


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