31段目8番
クロ駒ラプソディー
クロ駒はやきとりやである 刺すのは(豚)
山梨の博徒黒駒の勝蔵からとった
命名したのはぼくではない マキタ(槙田)サダオ(貞雄?)だ
マキタさんは一時期、ぼくの義兄であった
何故黒をクロとカタカナしたのか聞いたことはない
そのあたりがマキタさんのセンスなのだろう
上の姉と結婚したのは、ぼくが高校2年の時だ
22と41で19歳の開きがあり、両親と兄は猛反対した
姉は説得しようと、父や兄と話したが埒が明かない
父も兄も「あいつの目は明らかにアル中だ」と決めつけた
姉は「というより矢吹丈の目に似ている」と対抗した
その時マキタさんは日光市になる遥か以前の、今市の旅館に滞在し成り行きを見守っていた
姉は頻繁に連絡を入れる
その(だし)にぼくは使われた 一緒の外出ならそれほど疑われずに済む
八間道路沿いの、一番近い公衆電話に向かう途中、無意識だろうが、腕を絡ませてきたのには驚いた
姉はしぶとく粘り続け、結婚までこぎつけた
式場は大宮だった
高校3年になる春休み、東京の吉祥寺でアルバイトをした
学習院の短大に通っていた当座、姉はバイト先の小さな建築会社の専務だった、マキタさんと知り合った
吉祥寺の建設現場の穴掘りが仕事で、親方がナカガワさんだった
先の会社のマキタさんの部下であり、慕ってもいた
クロ駒は二子新地にあった 駅を出て、右に30秒歩いた左側だ
カウンターだけの窮屈な店で、地下があったがボロかった
2人の新婚生活は、そこの2階で始まったのだ
渋谷に出るにも吉祥寺へ向かうにも、電車は超満員だ
そんな初体験に、ぼくは何度も欲情した
出かける前と帰ってから、クロ駒に顔を出した 朝飯と夕飯をご馳走になるのだ
泊るのは近所のマキタさんの義母の家だった
前妻のお母さんでトモエばあさんと呼ばれていた
1人で住んでいた 手術で乳房がなく痩せこけていた 眼光鋭く迫力があった
高卒で上京し産業新潮社に入社した 3ヶ月で辞めたあとも様々なバイトをしながら東京に居続けた
気が向けば二子新地に出向いた
行けばすき焼きで歓待してくれた ビールは4,5本飲んだだろう
あとで知ったのだが、おやじの方が足まめにクロ駒を訪ねていたようだ
ビールを何本飲んだかは知らない
「アル中の風上にも置けない男だ」と罵っていたのに
宿河原に一軒家を借りていた一時(いっとき)がある
引っ越しを手伝ったし、長女のお守りを頼まれ数度通った
クロ駒を任されたのは馬場ゼミの9月だから、上京して4年目だ
3姉妹のうち長女と2女は生まれていたはず
2人で<伊豆にあるホテルの管理人>として赴いたのだ
子供をどうしたのか、はっきりとは覚えていない
豚の仕入れには長津田で乗り換え原町田にあった屠殺場へ出かけた
上質のレバーを見つけ手を伸ばすと、決まって横からおばさんがひったくっていくのだった
ずっと年上の本名が筆名のような法月一生も同じ馬場ゼミだ
岡本おさみよりはるかに<いにしえの昔の武士の侍>のような風貌をしていた
彼はタクシーを転がして生計を立てている 近所を通りかかると立ち寄ってくれた
あの頃、酔っ払い運転の罰則は、ずっと緩やかだった
もし酒を出したら、さてノリヅキさんは飲んだかどうか?
もう1人、馬場ゼミからカイドウが来店した
ゼミではろくに口を聞いたこともなく、意外だった
何を話したかキレイに忘れた 30分といなかったろう
次のゼミで、カイドウは突然暴れ出した
先生が気に入らないのか、世の中に怒っているのか その豹変ぶりは凄まじく、ぼくは固まってしまった
誰かが、2人掛かりで押さえつけた
さすがの馬場先生も茫然とカイドウを見やるだけだった
「馬場先生から手伝ってあげたらって言われたの あしたから伺っていいでしょうか?」
という電話を女が掛けてきた
客は1日10人に満たず客単価も1000円以下、だから1人で十分だ
けれど先生一流のパフォーマンスを、無碍にするわけにもいかない
カッコつけて白衣の上下を着、待ち合わせた駅前の2階の喫茶店で向き合った
嶋岡と名乗ったその女性を、ぼくは見知っていた
演劇科の1期生で、もう1人と交代で手伝ってもらうことになった
毎日ではなかった 来たり来なかったりだった
クサカリも1週間おきにやって来た
来れば料理を一品、たとえば肉じゃがを作りお勧め品とした
材料費を含め作るモノには全責任を負ってくれたので一宿一飯を提供した
任されて1ヶ月半が経った頃マキタさんがいきなり姿を現した
「伊豆は辞めた」と
姉と子供らは日光の実家に身を寄せたらしい
マキタさんが借りてる家なのだから当然だが「邪魔はしないし口出しもしない ヒデオ君の好きなようにやりなさい お互い我関せずのスタイルでいこう」
と居ついた
「居候だから」とマキタさんは押し入れで寝起きした
ぼくが仕入れた酒を勝手気儘に飲んだ
なくなれば営業中も降りてきてコップを満たした
出さないはずの口出しも、数限りなくした
嶋岡さんのことは、ひと目で気に入ったようだ
「ヒデオ君、あの娘とはやったんだろう? 彼女のおまんこはコロコロしてるぞ 性格も良さそうだ えっ、やってないって! なんと、ヒデオ叔父さんは、ほんとに男か?」
ある日5000円札を渡され「これで原稿用紙を買えるだけ買ってきてくれ」と頼まれた
歩いてすぐに文房具屋があるのだ
だが、少なくともぼくがいる間に、枡目が埋められることはなかった
我慢にも限界がある 堪忍袋の緒は、もうズタズタだった
「クロ駒は引き上げることにした」と姉に連絡した
「要らない」
と嶋岡さんは言ったが、もう1人のガタイの立派な方共々、時給計算しそれなりの額を支払った
来る時も出る時もクサカリが手伝ってくれた
マキタさんは、押し入れに籠もったまま出てこなかった
階段が狭いので、机は2階の窓からロープで吊った
等々力に移った
その後、姉が子供を連れて上京し、クロ駒は再開された
再び渋谷道玄坂の<ちっちゃな赤鬼>で働いていた
嶋岡さんが女友達と2人連れでやってきて、カウンター席に陣取った
ぼくはカウンターの中で焼きそばを炒めていた
「おいしそう」という嶋岡さんの声が届いた
「味見してみる?」とふやけた声をかけ、菜箸につまんで突き出した
いきなりだったので呆気にとられたのだろう
嶋岡さんは右の掌を広げたのだ 載せる以外にない
「アッチ」と嶋岡さんが言った
そのあとの対応をよく覚えていないのは、顔を真っ赤にして激しく悔いていたからだ
<なぜ小皿に盛って渡さなかったんだろう?>
<これじゃ田舎モン丸出しだ>
渋谷の、とあるスナックでバイトしてるとの情報を得た
店名から電話帳で調べ上げ電話した 食事に誘ったが軽くあしらわれた
あの焼きそばも一因だと判断せざるを得ない
マキタさんのアル中は悪化の一途をたどった
治療のため精神病院に何度か出入りしたようだ
3姉妹の1番上が小学6年の時、姉は離婚に踏み切り実家に帰った
それからどのくらい経ったろう?
マキタさんの白骨化した死体が、クロ駒の地下へと降りる階段の途中で発見された
下る時か上がる時かは知らないが、背を持たせかけるようにしていた きっと一服したのだろう
そしてそのまま動けなくなった
3姉妹と姉は葬儀に列席した
横浜駅東口スカイビルの5、6、7階に映画学校はあった
5階の事務室の前はロビーになっていて、壁際にベンチが1列続いている
ぼくは女の3人グループと隣り合って座っていた
演劇科の1期生のようだ
映画裸足のイサドラが話題になった
見ていないが下の姉から話は聞いていた
1時間前に見た映画だって、ややこしいところはあっさり忘れるところが姉は淀川長治のように1度見た映画はきめ細かく覚えている人だ
「ヴァネッサ・レッドグレープの身長は178センチなんだよ」
と姉から仕込んだことを披露した
3人はぼくを知っていた そのうちの1人に好意を抱いた
だから嶋岡と名乗った女と二子新地の喫茶店で向かい合った時、これは僥倖と思ったのだった
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