2022年1月29日土曜日

藤沢周平の5冊 その5 獄医立花登控え

 31段目6番

樋野さん


に頼まれて、女に電話をしてやったことがある

樋野さん今村昌平が作った横浜放送映画専門学院の同級生で、ぼくらは2期生だった

ABCDと映像科が4クラスあり、他に演劇科とテレビ科が1クラスあった

超はつかぬが一流の人身卑しからぬシナリオライター富田義朗が担任で、たぶんC組だった


クラスで一番カッコいいのは、樋野さんだなと思った

あとからロッド・スチュアート風の髪形になったが、入学当初は襟足までの長髪で横顔には憂いがあった

授業中、樋野さんは突如として手を上げて立ち上がり、明らかにピントのずれた質問を吃音りながらする

みんなから失笑を買ったが、ぼくからすれば憧れだった


夏休みの課題で書いたシナリオが3本の中に選ばれ、2年進級時には授業料半額免除の特待生として馬場当のシナリオゼミに入った

樋野さんも進級しゼミに入ったはずだが、誰のどんなゼミだったか、とんと記憶にない

「電話してくれ」と頼まれたのは、2年目の夏

相手は3人いる女事務員のうちの、1人だ

馬場先生に言わせると、ぼくの事務所での「評判はすこぶるいい」のだそうだ

それを吹聴したのかどうか、樋野さん曰く

「俺が直接電話したって、相手はどんな男か分からないだろ? 蓬田なら名前と顔が一致するはずだから、俺がどんな奴だか説明してくれよ」

となったのだ


電話は失敗に終わった

彼女(名前失念)からは「蓬田君の行為は、私を赤面させる」と反応に迷うようなことを言われ、馬場先生からは「蓬田の気持ちも分からないでもないが、浅はかだったな」と裁断された

入学時には、樋野さんも安斎和田さんも相鉄線星川にあった、学生寮に住んでいた

やがて、安斎は日吉に、和田さんは保土谷にアパートを借り、樋野さんは三浦海岸の一軒家に入居した 

<ほら、カッコいいだろ?>


もちろん遊びに行った 

「樋野さんのことを小説にしたい 取材させてほしい」と、わざわざ断りを入れてだ

タイトルも決まっていた 城ヶ島の雨

だが、途中から周りからバカにされているのは決して理由のないことじゃない、と思い始めていた

覚えているのは「俺は自家中毒だったのよ」のセリフだけで、症状の説明をしてくれたはずだが、一切忘れた

おざなりになってきたのを、樋野さんも察知したのだろう 

ギターを取り出し、自作の歌を何曲か歌った


今でも歌える曲が2曲ある 

#ふたりのデート照れ笑いばかり、まだ子供なんだね というのと 

#カモシカみたいに、ポツンとひとり~~ だ 

俺が歌うよりは、遥かに歌らしく聞こえた


その後、樋野さんは飯能へ引っ越した

1年ほどズレたが、ぼくもあとを追うように飯能へ移り住んだ

馬場先生との縁も切れ、いったい何をしたいのか、てんでわからない振り返っても最悪の時期だった

ぼくの借りた家は、まだ街外れの雰囲気が多分にあった

樋野さんちは入間川を渡り、さらに20分は歩いた年季の入った家だった 

矢颪といった

ぼくが借りた一軒家は一応風呂付だが一間で、まるでマッチ箱のようだった


ある日、女が「トイレを貸してくれ」と訪ねてきた 

貸してあげた 

女は健康食品の販売員だった  

季節は冬で、トイレから出てくると、女はさも当然のように、電気炬燵に足を忍び込ませたのだ 

見え見えの手口だが、ぼくは勃起してしまった 

その由を素直に告げ、ぼくらは一発ヤッタ 

やる前、契約書にサインさせられたが

驚いたことに、彼女は本当に生理中だった 

下に敷いたバスタオルが、赤黒く汚れた 

貧弱な、おまんこだった


翌日、激しい後悔と共に振り込まねばならぬ5万6000円が惜しくなってきた

相談しに行ったのか、たまたま樋野さんが現れたのか、その辺は曖昧なのだが「よし!返しに行こう クリーニング・オフがある」

と、いやに明るい声で樋野さんは言ったのだ


事務所は所沢の外れにあった 

ぼくは、ただ隣にいるだけ、すべて樋野さんが対応した 

吃音ってもいなかったし、普段の倍の声量があった 

「緊張すると、吃音らずに済むんだよ」 だとさ

女から2度、大家の所に電話があった 

大家のおばさんが、聞き耳を立てているのが分かった

八高線東飯能から乗って高麗で降り、30分歩く勤め先にも、 2度あった 

「わたしには、バックがついているのよ」

と脅されたが、耐えしのいだ


その後墨田区八広の、昼でも薄暗いアパートに移り住む

ひょんなことからインドへ行くことになり、樋野さんから寝袋を借りることになった

彼も飯能を引き払い、お母さんが経営する自宅隣のの講師をしていた

樋野さんは「もう使うことはないから、貸すんじゃなくて売るよ、8000円でいいよと言った

その日、なぜか授業を見学したのだった 

女の子からバカにされてはいたものの、顰蹙は買っていなかった


それから樋野さんには会ってないから、8000円は未払いのままだ

そのことを<寝袋にこんがらがって>という詩にしている 

読むと、閉塞していた八広へ訪ねてきた安斎から樋野さんがある雑誌でハメ撮りのコーナーを担当していると聞いた、とある

だが時期が違う

インドから逃げ帰り春日部に住んでた頃のことで、そこへも安斎は2度か3度飲みに現われた そん時の話だ


さらに数年が過ぎ、ぼくは赤羽八起という飲み屋で働いていた

アパート代も銭湯代も店持ちだ 

アパートそばの風呂屋の入湯券を、給料日に30枚もらえるのだ

ぼくは飲み屋でのバイトが多い 

自分が酔っ払いなので、相手の気持ちが分かるからなのか、中をやっても外をやっても、概ね評判がいい


そんな折、まだ倉敷に帰っていなかったヒロヨシが飲みにきた 

やがて彼が来た翌日には、店を休んでしまう悪循環に陥る

ある時ヒロヨシが言った

「この前、夜の夜中に新宿のマクドナルドで樋野さんとばったり出くわしたんだよ 女の引っ掛け方を、俺に聞くのよ 冗談なのか、真剣なのかわかんなくてさ 鬱陶しかったな」


関連詩 寝袋にこんがらがって 




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