29段目5番
KAMPEEについて
チェンマイ大学コンペンションセンターは、キャンパスから少し離れてニマンヘミン通りに面している
対面はチェンマイ大学アートセンターだ
シリマンカラジャン通りに向かって伸びる路地26には、学生寮や学生相手の洗濯屋、コピー屋、食堂などが散らばっている
寮に入居するのは無理な相談だが、食堂は幾度も利用した
コンペンションセンターはสวนสขภาพ健康公園の中にあるというか、隣り合っていて区切りはない
片隅が植物園になっていて、その小路も取り込んで一周すれば優に1㎞を超える
卒業式学位授与式は無論のこと、ここではいろいろな催し物が執り行われる
その時には中のトイレが開放される
人出が予想されれば駐車場脇に仮設トイレを設ける
昔は公園にも小さく粗末なトイレがあったのだが、いつのまにか取り払われてしまった
ぼくは1万回近く公園に出入りした
走ったし、ナワトビをしたし、足を痛めている時は歩いた
走ってもナワトビをしても便意を催し易くなる
催せば路地26を挟んで向き合う、ユニバーシティアカデミックサービスセンターのトイレを使った
コンぺンションセンターでは稀にコンサートが開かれる
建物の裏には下水(と思う)が流れている コの字型に長方形のコンクリートで覆われていて地面より一段高い
ナワトビはいつも同じU字溝でするので、その一枚が白っぽく変色し浮き上がって見える
そこから楽屋口まで5mもない
人気男性歌手Mのコンサートのことは、知らないでいた
(きょうはやけに人が多いな)と訝っていると、ナワトビするぼくの前をMがとぼとぼ楽屋へと入って行ったのだ
KAMPEEคำภีร์(通称プーปู蟹)の時は当然駆けつけた
客席の中段に位置したが、音が最悪だった
その日たまたま悪かったのか、入れ物自体の音響設備が悪いのか?
発音のキレイなカムピーの歌声がクリアに聞こえない
(途中でトイレに立つのはもったいない)とこれまで散々学習してきたので、その日は一滴も流し込まなかったのにガッカリだった
帰りに、行く前に飲まなかった分、しっかりと飲んだ
テレビでカラワン(1973年に結成された4人組バンド)のスラチャイと共演しているのを見た
二人の雰囲気からカムピーをカラワンに新たに加入したメンバーと勝手に判断していた
この勘違いを訂正してくれたのはヌムだ
タイの音楽ジャンルにプレーングプアチーウィットเพลงเพื่อจีวิต<生きるための歌>というのがある
それはもともとカラワンの歌から始まったのだ
カラワンもカムピーもセークの実兄セーナーガーもガンケンもカラバオもこのジャンルに含まれる
カラバオのリーダー的存在エートをどうにもこうにも好きになれないが、カムピーはメンバーのひとり(口髭の両端をピンと撥ね上げた男)と妙に気が合うようでアルバムを一緒に作ったりしてる
パーミーよりセークよりカムピーのデビューは早かったが、アルバムを手に入れたのは二人の後だ
無人島に持っていけるのが1枚だけなら、カムピーになるだろう
チェンマイを引き揚げ、日本にいついてからはネット環境がないのでTOBUのWi-Fiに頼わざるを得ない
今市図書館の別館にドコモの置くだけWi-Fiがあったが、コロナ禍で閉じられたままだ
チェンマイ生活の最後に住んでいた、ホテルも兼ねるアパートには、当たり前にWi-Fiはあって1ヶ月300バーツだった
ユーチューブで将棋と映画をひたすら見ていた
ある日カムピーの動画をあっちこっちに転がしていたら、コンサートにゲスト出演しているパーミーの姿を発見した
山のあなたの昔、吉田拓郎の深夜ラジオに五木寛之が飛び入りした時以上に青天の霹靂だった
カムピーの研ぎ澄まされた名曲คิดถึง(懐かしい生)をゆらゆらと歌うのだが圧巻としか言いようがない
関連詩 五木寛之と吉田拓郎 アルクビヨロコビ
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