29段目1番
アミーゴ、鈴木あみ
ほぼ同じ頃、浜崎あゆみもデビューしたのではなかったか?
ぼくは密かに、鈴木あみ派だった
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに、ある日忽然とテレビから消えた
ウィキペディアを見るといろいろとあったらしい
引退したわけではなくその後も鈴木亜美と改名し活動を続けている
知らなかった
落語の枕みたいに鈴木あみに触れたのは阿美のことを語りたいからだ
本人があみと名乗ったからぼくも(あみ)と呼んだが<阿美>とこの字を当てるのかどうかは知らない
もっと言えば、阿美が漢字を書けるのかどうかも知らない
ニマンヘミン通りとシリマンカラジャン通りを繋ぐソイ13のちょうど真ん中を入った小路に、置屋が三軒並んでいた
もちろんどの店にも行ったが、頻繁に通ったのは真ん中の店だ
日本人は主婦の館と呼んでいる
ぼくはそれより遥か前から、その店を知っていた
阿美を見かけた時<主婦の館>の呼称があったかどうかは、今となってはわからない
地元の割と歳を食った女がバイト感覚で働きに来るので、そう呼ばれているわけだ
阿美は住み込みだった
21か2でオッパイの形が麻田奈実のようで、弾力も確かだったが、顔はイマイチだった
イジメにあっていたようだ
ヘソの横のタバコを押し当てられたヤケド跡を見たことがある
昆明(クンミン)生まれと言った タイ語に澱みはなかった 雲南省の約3%がタイ族だという
景共(ジンホン)にシップソーンパンナーสิบสอนปันนาタイ族自治州がある
12世紀頃起こったシップソーンパンナーはタイルー族の国なのだ
だからって阿美がタイルーかどうかは知らない そのことを聞いたことはなかった
< 俺は一休〔いっきゅうอิคคิว〕だ>という詩の中で、チェンマイの街を歩いていると、あっちこっちから次々と「一休」と声がかかると書いたが、いささか調子に乗りすぎた
街中で「一休」と名前を呼ばれたのは30年の暮らしで、数回だけだ
阿美には、セントラルデパートの階段を1階へと上がっていくところで呼ばれた
大きな声だった 店で受ける印象よりずっと明るい感じがした自分の仕事を気にしてる様子は微塵もなかった
主婦の館は、入るとテーブルが7つか8つあり、女が数人散らばっている
カウンター前にジュークボックスがありカラオケもできる
奥へ向かうと、小さな池を挟んで平屋の建物があり、部屋がやはり7つか8つあった
カラオケのある、つまり女の品定めをする建物の階段を昇って行くと、部屋は3つあり、右端に阿美は住んでいた
ちょんの間は平屋でヤル
泊りの時、その部屋に足を踏み入れた
これまでの詩では、ビールやつまみや女の値段を、細かに記してきたが、今回モノの値段には一切触れない
ホテルを利用したこともある
主婦の館は、コーヒーショップ街の置屋と違いホテルと契約はしてない ホテル代は自腹だ
アパートへ連れ帰ったこともあった 飲み過ぎ、役立たずになってしまったが
翌朝、阿美の10%割引券を手に(MKスキ)へ行き、またビールを注文した
すると真剣な眼差しで「飲み過ぎは良くない」と諭すのだった
阿美は主婦の館に3年はいただろう ぼくの30代から40代にかけてだ
日本へ帰る2日前、すっかり馴染みとなった阿美と、アパートで対峙した 別れの一発だ
「今度来た時、返すから」とよしだたくろうのカセットテープを2本持って行った
半年後チェンマイに戻った
その間に一大決心をした
顔は垢抜けないが、性格は垢抜けている いろいろなことの折り合いがつけば、主婦の館はやめてもらって一緒に暮らそう そのために70万円までなら
「使ってもいい」
早速主婦の館に出向いたが、阿美はいなかった
女たちを問い質すと体を壊し、1ヶ月前昆明に帰ったと言うのだ
「飛行機代が足りず陸路で」とオマケまでつけて
その夜、夢を見た
阿美がバスに乗っている 故郷を目指しているのだろう
阿美は窓側に座りイヤホーンで何か聞いている メロディーがぼくの耳にも聞こえてきた
たくろうの<サマータイムブルースが聴こえる>だ
そのうち阿美は眠るように死んでしまうのだった
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