24段目4番
飽きる
ということは確かにある
この十年、日本に半年タイに半年という生活を続けている
タイに来て三ヶ月もすると、飽きて日本に帰りたくなる
なら飽きた時点で予定を切り上げ、帰れば良さそうなもんだが、チケットの問題とかあってそこまではしていない
河岸を変えたところで気分が変わらないのは、骨身に沁みている
ただ飽きるスピードは年々速くなっている
飽きるとは、諦める、明らかに究めることだ
「ぼくはあきらかにきわめただろうか?」
人生とはやり過すことだ
働いたり、結婚したり、じっとしていたり、酒を飲んだり、やり過す方法はいくらでもある
逝ってしまった人たちには申し訳ないが、正直やり過すことにも飽きてしまった
人生五十年で良かったのではないか
飽きてきた頃、具合よく人生が終わる
それが五十六十の頃なのではないか
五十を過ぎたら働かべからず
そんな法律を作ってしまったらどうだろう
五十を超えたら人は惜しみなくスタコラサッサと死んでいっていいのではないか
ものごころついてからきょうまで、永遠の命とか不老長寿を望んだことはない
そう願う人が実際にいることが、少年の頃、不思議で不思議で仕方がなかった
飽きたなら、やり過せないのなら
素直にやさしく死んでいくのもイじゃないか
満天の星に捧ぐ
のぼるがいってしまった
確か本名が満でぼくらは「まんちゃん、よもちゃん」と呼び合っていた
まあるい顔とまんまるいお腹がトレードマークののぼるが、満天の星に向かい、のぼって逝ってしまった
ちょいと異端を気取った、元気いっぱいのいたずら坊主が、おおいに遊びちょっぴり勉強し、ただほんの少しを望んで結婚し、離婚し、また結婚し
その節目節目には、まるで己に落とし前をつけるかのように、働きづめに働き、やっとゆっくりできる境遇に見舞われた矢先にだ
どこまでもクソ真面目で、いつだってバカ正直に自分を励ますしか能のなかった男よ
オラオラオラ
まだ三途の川を渡ってないのなら
目を覚ませ!
オッパイを上下左右に自在に動かすあの芸当で皆を笑わせ、おいらを罵倒しろ
「50を過ぎたらスタコラサッサと死んでいけばいい」と言ったのは、いったいどこの馬の骨の戯言なのかと
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