2021年7月5日月曜日

井上ひさしの5冊 その5 わが友フロイス

 24段目3番

無題
 
 
石原慎太郎は、まだ生きてるはずだ
石原裕次郎が死んだのは、幾つのときだったのか?
美空ひばりより先だったか後だったか、興味がなかったので覚えてない
ただ、ぼくが彼らを、だいぶ上回ってしまったのは確かだ

兄貴が死んだ歳まで、あと四年ある
親父が死んだのは九十一か二だ
その歳まで生きる過程を想像すると、気が遠くなる
いやいや、ここ二、三年の一年の過ぎる<スピード>を思えば、あさってあたり平気な顔で九十だったりしっちゃたりして

死ぬというのは生まれる前の状態に戻ることだと、最近は考えるようにしている
前生がモグラと覚えている人は、モグラに戻り、石川五右衛門と信じてる人は、五右衛門になり、大釜で湯掻かれるわけだ

生まれる前のことは、何一つ覚えていない
なに<モノ>でも、なに<カシラ>でもなかったわけで、早い話が無だ
死んで無になるのと、死んで無に戻るのと、どこが違うのかと人は言うかもしれない
実際、死んでしまえば同じことだが、生きてるうちは無に戻ると考えた方が、増しというか緩い気がする
頭と褌は少し緩めが<イイ>のだ





テレサテンの<時の流れに身をまかせ>をお願いします



今更やりたいこともないが、行ってみたいところもないが、この年になってもあせりのようなものが、確かにある
鎖骨のぐるりに散らばっている慢性化した汗疹のようで、どうも気になる

思うに任せぬズレっぱなしの人生だったが、この人生、別に後悔はしていない
あきらめはとうの昔についている、が、未練に似たものが未練がましくある
間違いなくそこにあるのに、その存在を実感できぬ眉間のようで、妙に気になる

気にはなるが、致し方ないことと、わきまえている
把握できぬあせりを、実感できぬ未練を
いったいどうしろというのか!
未練を背負込んだあせりを汗疹に滲ませ
あせりに咥えられた未練を眉間に引っ掛け
このままアタフタせかせかシコシコ、朽ちくちていくのだ

 
 

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