2021年7月13日火曜日

吉田拓郎の3枚 その1 元気です

 27段目5番

ケンチャンブンヌキ



<おやじへの悪口はこれでおしまいの巻>
という詩が示すように、このブログでは「ああだ、こうだ」おやじを貶めてきた
このことに関しての反省はない
いまだにおやじはキライだし、許してもいない

今、上の姉と同居しているが、夕飯はだいたいにおいて酒を飲みながら一緒に食べる
お互い将来に展望が持てる年頃ではないので、話は自然と昔話的なものになる
「ええちゃん(姉のこと)の偉そうな愚痴り方は、まるでおやじの愚痴を聞いてるようだ」とか
「お前が鼻水を啜り上げる音は、とうちゃんの音色とまったく同じだ」とかさ
見た目瓜二つなのは、誰しも認めることなのでこうやって忸怩たる思いを、擦り付け合ってるわけだ

ぼくらは四人兄弟だが下の姉を除くとおやじ似だ
ただ姉に言わせれば、今のぼくの齢に膵臓がんで死んだ兄は、徐々におふくろ似になっていったんだそうだ
その姉が夕べ、こうのたもうた
「沼尻さんがよく言ってた ヨモギタさんちの兄弟は、ほんと
ケンチャンブンヌキねって」

おいおい、これはいったいナンなんだ
61年生きてきてブンヌキなんて初めて聞いた
これは日本語か? どこんちのだれの言葉だ?
だが辞書は引かずとも、姉に確かめるまでもなく、意味はわかる
瓜二つどころかそのまんまそのもの、ってことだろう
似てるのは見かけだけ、との自負心がだんだん怪しくなってきた

6年前、姉の幼馴染ののりちゃん
「さっきひでおちゃんの後姿を見たんだけど、ケンチャンに生き写しだった」
と言われたショックから、今なお立直れていない
ちなみにおやじの名前、健一ネ
ナルシストのぼくだって還暦を過ぎれば、己を客観的に突き放す術もわかってくる
そして今ジクジク悟るのだ
ルックスは言うに及ばず、思考回路も、おまけに行動パターンも、ケンチャンブンヌキなのだった



男体にひれ伏す


ケンチャンブンヌキのぼくはおやじ譲りの大食いだ
従って排便も大量だ
敬愛する田中小実昌は、一日最低五回、便器にしゃがむのに固いうんこをしたことがないそうだ
酔っ払いの王道をひた走るぼくも、八割がたは軟便だ
我が郷土の誇り男体山が大爆発した折り、堰き止められ、中禅寺湖ができた
その時に流れ出た溶岩の量に比べたら、比べる必然性は一ミリ足りともないが、六十二年をかけひり出した下痢便は、微々たるものだ
あえて言うのもおこがましいが
「おいらって、なんてちっぽけなんだろう」




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