22段目11番
煙草個人史
40年振りに下田逸郎の「タバコ」を聴いた
ユーチューブで映画や将棋を見ることに、清志郎や拓郎を聴くことに、飽き飽きしていた うんざりしていた
そんな気分が横浜放送映画専門学院時代に、樋野さんから下田逸郎を勧められた記憶を蘇らさせた
下田逸郎と検索し、出てきた曲から「タバコ」をクリックした
結局、ユーチューブからは逃れられなかったわけだ
初めてタバコを手にしたのは、小4の時
おやじと歩いていた
少し後ろを歩いていた
前から来た男がタバコを投げ捨て、そのまま通り過ぎた
それを拾い上げ、口に持っていき、吸うのではなく吹いた
どうってことなかった
おやじが振り返り、「バカ、何やってんだ」と言った
何かおやじに訴えたいことでもあったのだろうか?
小学6年にもなればタバコは吹くもんではなく、吸うもんだと心得ていた
その頃、朝、散歩の習慣があった
霧降大橋の歩道に捨てられていたタバコの煙が、淡い日差しを透かして朝靄に、もやっていた
吹かずにちゃんと吸い込んだ
それから高校を卒業するまでタバコに触れることはなかった
上京し一段落すると、ハイライトを吸い出していた
よしだたくろうがハイライトという歌をうたっていた
銭湯が55円で、ハイライトが75円だった
兄貴はピースを吸っていた 缶の時も箱の時もあった
Yこと、ヤスオちゃんのおとうさんは峰だった
家出少年マサジはショートピース
樋野さんはチェリー 和田さんはいこいがなければわかば
安斉は何だったろう 吸ってはいたんだが
大将がハイライト サイちゃんはショートピース
ヒロヨシは多分セブンスター系
酔うと強引に舌を差し入れてきた研さんはゴールデンバットだった
ひとみさんもぼうさんもモッドも吸っては、いなかった
一番吸っていた時期でも、一箱は空かなかった
徐々に本数は減っていった
口寂しく暇を弄ぶ余裕のない時、買いに走った
40代に入ると、貰いタバコに専念した
ねだるのは酒が回り始めてからだ
55の頃、姪のだんなに貰い、しゃがみ込んで吸っていると、急にくっらっときて、オデコが玄関先のコンクリートを叩いた
オデコの左上の部位が、卵大にピンク色に染まった
かすかにだが、今もその名残はある
還暦を越え、貰いタバコもきっぱりやめた
っていうか、たかっていた人たちが、誰も吸わなくなったのだ
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