2021年7月2日金曜日

古内一絵の3冊 その3 鐘を鳴らす子供たち

 23段目1番

あした

 
 
トゥモローという、黒木和雄の映画があった
あした原爆で死んでいく人たちが、悪い予感のかけらもなく、きょうをそれぞれに生きている
という、映画だった

なぜ 原爆は落とされたのだろう
なぜ 原爆を廃棄しないのだろう
なぜ 人は戦争をするのだろう
なぜ 自爆テロは繰り返されるのだろう

宗教に殉じるのは勝手だが
宗教のために人を殺してはいけないのではないか
宗教を国家と言い換えて
何ら差し支えはない

ぼくはまだ、それを持てないでいるが
自殺する勇気があるのなら
ひとり死んでいくのがスジだろう
いくら考えても、どんなに想像しても
自爆テロをする人の 特攻を命じた人間の
心情がわからない 風景が見えない

国家がある以上、人が人を裁くのは、仕方のないことかも知れないが、殺しちまうのはあんまりだろう 
やりすぎだ
ここに人間が百人いたら、うち、八十人は嫌うかもしれない
だけど、誰かを殺そうとか、殺したい、と思ったことはない
これだけはエラそうに言わせてもらう
ぼくは生まれる前から
人は人を殺してはならない
ことを知っていた

なら
人は豚を殺していいのか、と問われれば
小首を傾げ、聞かなかったことにするしかない
人間性善説性悪説どっちを取るか、と問われれば
ためらうことなく性善説
そうでないと
これまでの人生は このブログは
崩壊する

人は人を殺してはならない
そう信じて生きてきた
生きていさえすれば、あしたはやってくる
そう信じて生きていく


 
 

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