2021年7月6日火曜日

小津安二郎の5本 その3 風の中の牝雛たち

 24段目6番

世界に一つだけの歌


いかに心砕いても、どうにもならないんだが、密かに心配していた
ちょっと前、どう決着がついたかは覚えてないが、小林亜星服部克久を盗作で訴えたことがあった
「ああいったことが際限なく起きてしまうのではないか」

その曲のことは、ちっとも知らないのに、作った曲が類似してしまうってことは「あり得ないことではない」だろ?
だって地球には70億の人間がいるんだぜ
例えば日本ではフォークブームのあと、猫も杓子も曲作りするようになった
何を隠そう、この俺にだってオリジナルが4個ある

姉と離婚してから数年後、二子新地の焼き鳥やクロ駒で、義兄は地下へと降りる階段にもたれた姿勢のまま、白骨死体で発見された
6畳間の隅っこでギター掻き毟りながら歌っていた俺に
「ヒデオ君、いいかげんその雑音何とかしてくれないか!」
とヌかしやがったのを忘れない

義兄が我が家を訪れたのは、19歳年下の姉との結婚許しを乞おうと、酩酊状態で現れた1回こっきりだから、俺が高2の時だ
話がそれたついでに言ってしまおう
大谷川河川敷ススキ生い茂る中、ギター爪弾き、マル田バツ子を前に虎の子の4曲を歌ってしまったのだ

結論を先に言う
専門家を信用すれば、どんなに人口が増えようが、人類がどこまでも果てしなく生き延びようが、俺が心配しているようなことは起こらないんだとさ
曲は無限なんだって
数百年の歴史を持つ将棋指しの勝負に同じ棋譜が一つもないように、人一人一人の来し方にも同じものはない
曲も俺たちも限りはないってことよ
「ただし人間は死んじゃうが」
でもよ
たとえあした死のうと、まだきょうのうちはヨ
無限の可能性が渦巻いているのサ

  
関連詩 クロ駒ラプソディ

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