2021年7月2日金曜日

ルネクレマンの4本 その1 太陽がいっぱい

 23段目3番

年頭に当たって


ぼくが生まれた頃には、まだ数え年が幅を利かせていた

ぼく自身は満で数えた

歳が一つ増えるのは、誕生日の11月17日

年が改まれば、心も新たになった気がして、日記なんぞをつけだす

どんどん歳を取り、日記の類は40手前で、一切書かなくなった

歳を取れば取るほどに、月日が流れるスピードはドンと速くなる


53の時<祈り>という詩で、数式を用い、そのことを証明した

今は、地球誕生の時を、ほぼ正確に言い当てられるそうだ

地球上の一年のスピードはずっと変わってはいないはず

63回目の年頭に当たって、考えたことがある


もし一日が11時間だったり33時間だったり

一年が100日だったり400日だったり

規則性を持たない、まったくのデタラメだとしたら

ぼくたちは、生きていけるか(否や)ということだ

難問だが、強引に(可能だ)と仮定しちゃおう


先が読めないのだから、計画は立てられない 

農業はできない

働こうなんて誰も考えたりしない 

約束はできない 

責任なんて言葉はない 

はて言葉は生まれたのかどうか? 

貨幣も国家もあり得ない

 

木の実をもいだり、魚を捕ったりの狩猟生活だ 

えっ! まるでユートピアじゃないか

さてさて、突然地球が軌道を踏み外し

流れ星になってしまったらどうだろう

「ぼくも乗っかかったまま、おんぶにだっこで

たどり着く先へ、連れっててもらえるのだろうか」

流れ流され摩擦熱で燃え尽きるのだろうか?


関連詩 祈り


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