2021年7月4日日曜日

お気に入りの5曲日本編 その4 ジョニーへの伝言 ペドロ&カプリシャス

 23段目9番

柏戸、三重ノ海、鶴竜


大鵬より柏戸の方が圧倒的に好きだった
柏戸の相撲は怖くて見ていられない
弓取り式の時間になると、隣のマサオちゃんが「ヒデオちゃん」とやって来て、さっきの取り口を再現する
大鵬を一方的に、いとも簡単に下せるのは<柏戸の左前褌取っての一気の寄り>以外にはなかった
まあそんな相撲は一度しか見たことがなかった

佐田の山の突っ張りも、嫌いじゃなかった
胸毛の明武谷のつり出しは、色っぽかった
エホバの証人である下の姉の情報によれば、明武谷も清国も証人だ

豊国には、大鵬柏戸にのど輪で勝った以外、全敗、つまり2勝13敗という、とてつもない記録がある
北の富士玉乃島なら、盲腸炎をこじらせて死んだ玉乃島を選ぶ
俺のおやじは何か理由があったのだろう、富士錦贔屓で確か一度平幕優勝をしている

そのうちにやる気のない顔をして仕切る三重ノ海が、やってきた
そうこうするうちにかわいいのかやる気がないのか、判断付きかねる鶴竜綱を張ってしまった
三重ノ海、鶴竜の両人は左前褌取って一気の寄り>の柏戸の系譜に連なる

俺が真正面からファンになったと言えるのは、この3人
今、相撲界はすったもんだしている
マスコミは躍起に相乗りを図っている
俺にひとつの提案がある
年に3度ある東京場所の1回を、モンゴルウランバートルに持って行く
もっと長い目で見据えれば、ロシア場所バグダッド場所リオデジャネイロ場所ニューヨーク場所も、視野に入れよう

日本の国技相撲を、世界に広めちゃうのだ
カーネギーホールに土俵を拵えるのも悪くない
いつの日か相撲が、世界の国技になるかもしれない
いや、この表現はちょっとおかしいか
だったら別に国技じゃなくなったって構いやしない

「のたり松太郎」
今、相撲界が、世の中が必要としているのは
お前のような相撲取り、人間なのだ



左前褌を取ってしまったからには



昔からあったのかもしれないが、最近、半端ないという表現を耳にする

半端じゃないの言い間違い、あるいは短縮形かと思った


幅広い才能に脱帽している清水ミチコも(ボイボイบ่อยๆ、ゴメンゴメン、ついタイ語が出てしまった)度々使う

我が敬愛する小説家某も、堂々と半端ないと表記させている

とすれば何らかの根拠もあり得る


言葉は移り変わっていくモノだ

因縁をつける気持ちは毛頭ない

だが俺だって男の端くれだ 

男として、いや人として、左前褌を取ってしまった以上

半端ないとは口が裂けても言えない

一気の寄りしかない




なので
 
 
が、大流行りである
始めは、若い人たちの間だけで、流通している言葉だと思っていた
ところが敬愛する作家の何人かも、なので文を使い、なので口調で話している

気づかなかっただけで、なので言葉は太古のあちらからこちらへ、ずっと飛び交っていたのかも知れない
ぼくなりになので言葉に挑戦してみる
春が来たから私は眠いを、なので文にすると
春が来た なので私は眠いだろう

うーん、どうもなので文の方がボルテージ高いというか、情感豊かなようだ
死期が来たから私は死んだ、では、死ぬに死に切れないが
死期が来た なので私は死んだ
だったら、まあ仕方がないか、という気にもなる

「ならねえかあ?」
 
 

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