27段目2番
スプリングフラット 春愁
61歳で、膵臓がんで死んだ9歳違いの兄がスプリングフラットを穿きだしたのは、俺が中学生の頃だ
それはガラパンにしか見えなかったが、兄は
「ガラパンというのは、太い青い縦縞が入っている、非常口のないデカパンの所謂、別称だ これはスプリングフラット 下着ではない」
と、のたもうて、夏場はそれ一丁で辺りを闊歩する
市民ゴルフ場ならそれほどの違和感はないが、電車に向かい合って座り、足を組まれれば「これでいいんだろうか?」
と、熟考せざるを得ない
同じ頃、「今はこれがナウいのだ」
と、トレーナーを裏返して着だした
それはすぐに真似た
そしていつしかスプリングフラット一丁で、交通機関を乗り降りするようになっていた
いきなり怒鳴り上げられ、びくつくこともあったが、自慢の兄だった
日光東中学校の初代生徒会長で県内一の進学校へ進み、一浪して早稲田に入った
だから俺も生徒会長になって宇都宮高校へ行き「ストレートで早稲田だ」
と、信じて疑わなかった
中二の秋に円形脱毛症を<発見>するまでは
葬式の折
「これで和夫さんの鼻毛を切ってちょうだい」
と、義姉から小さなハサミを渡された
「何で俺が」と、思わないでもなかったが従った
だがうまく切れない
眉毛は放っておくと、果てしなく伸びるので、50を過ぎてから、週一のペースで切るようになった
鼻毛の方は、昔から毛抜きで抜いている
そのほうがスッキリとキレイだ
「毛抜き、貸して」
と、言いそうになるのを、ぐっとこらえた
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