2021年6月27日日曜日

山田洋次の5本 その1 息子

 21段目9番

人は誰も


自分の人生しか生きられない
ぼくはマーロン・ブランドにはなれない
マリア・シュナイダーに挿入できない

人は他人の死を体験できない
他人の痛みは具現できない
どんなに羨んでも
どんなに蔑んでも
人は他人を所有できない

無論のこと
その他人をその他人と共有できない
人は自分の人生しか生きられない
いかなる時も死に至る過程は無限にある
だから殺されて仕方ない
ということではないが

殺されるチャンスは巷にバブルぶ
四六時中死と向き合い続ける度量はない
何はともあれ
我の存在が喪失するまで
なくなるまで
ありつづけるしかない





安楽死


悔いだらけの人生だった
やり直したいと思ったことはない
葛藤は数知れずあった
決断したのかどうか
今となっては曖昧模糊だ
死ぬのは怖い 死はこの世での最大の恐怖だ
だが 不老長寿を願ったことはない

底のない落とし穴に嵌ったと想像しろ!
どこまでも果てしなく落っこちていきたい
と 考えるだろうか?
何度も言ってきたように永遠の命を想像すると
気が狂いそうになる
もう狂っているのに
トカナントカカントカミダラナチャチ
は 入れないでクレクレ

みんながみんな死んでいくのだから
なんとかなりそうな気はする
ただ痛いのはイヤだ
痛みが死ぬまで継続すると認知した
地点でなんとかしたい




死んでもいい


という映画があった
アメリカ映画ではなく多分イタリアかフランスだ
内容は覚えてない 題名が気に入った
死んでもいいと積極的に思ったことはないが
消極的には慕い続けてきた
もうすぐ65になる
今だって慕う気持ちに変化はない
ただ色合いがより鮮明になった
そのことが どことなく面映ゆい








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