21段目10番
死んだ人まだ生きてる人
順番はよく覚えてないが井上靖が死に川上宗薫が死に田中小実昌が死に三浦哲郎が死に野坂昭如が死に藤田宜永が死んだ
いずれ俺も死ぬが、せめて佐藤愛子と五木寛之が死ぬのは見届けたい
おふくろが死にあにきが死におやじが死んだ
もりちゃんが死によしこさんも死にみっちゃんのだんなさんも死によしろうさんはだいぶ前に死によっちゃんも死んでいる
梅ちゃんが死に川中子が死にさいちゃんが死に大将が死んだ
死ぬのには旬も好機もないようだ
もっと歩けばきっと
またまた自転車をなくしてしまったので、歩いている
チェンマイ滞在はあと二ヶ月だが買うのもなんだし、歩いている
タイ人は、タイに住む日本人の大半は、十メートル先のコンビニへ行くのにもオートバイを走らせる
ぼくも百メートル先のコンビニまで自転車を漕いでいた
今は
市営グランドへ走りに行くときも
健康公園へ縄跳びに行くときも
市場へ買出しに行くときも
歩いている
「のぼる」という飲み屋兼食堂へ行くときも
気がつけばそこは病室だった、という料理好きの男のところへ行くときも
歩いて行く
酒量にも酔い方にも変化はないが、自転車の時より
心が若干余計に弾む
ロシアの農夫の病気に
突然、鋤を放り出し、地平線に向かって、ひたすら歩き続けてしまう
というのがある
農夫は仕事が嫌になったのではない
地平線に沈む夕日を手にしてみたくなったわけでもない
ただ歩きたくなった
歩き出したら止まらなくなったのだ
ぼくも十年位前、起きたら無性に歩きたくて
霧降高原よりずっと向こうの<六方沢>まで行ってしまったことがある
つまり上はTシャツだが下はパジャマ着のまま
往復二十二キロを朝飯も食わずに歩き通したのだ
ついでに自慢する 家と六方沢の標高差は六百メートルだ
藤村操も今は昔
何を隠そう、六方沢は<華厳の滝>をはるかに凌ぐ自殺の名所だ
ぼくの知人も同級生がひとり、一級下がひとり、近所の兄弟の弟の方がひとり、と計3人が飛び込んでいった
死ぬ気なんてこれっぽっちもなかった
ただ歩きたかった 上から川底を覗きたかった
帰りは筋肉痛の気配を覚えたので、木彫りの里センターで一休みした
家に着いたのは14:00近く
今は長崎に住む、その頃は役所で働いていた姪に
「朝からいきなり、いなくなったから心配したよ」
と小言をもらったのだった
昔、高田渡や加川良なんかが
いくら歩いてもいくら歩いても 悲しい気持ちは変わらない
ああああ まっぴらさ
と歌っていた
だがこれはあくまで若い時だけの話だ
年をとれば悲しみという屁にもならない感情は三こすり半で、否、三歩と半歩でズボンの裾からこぼれ落ちる
年寄りには人生に飽いたわけでもないのに
ふさぎこむしかないときが、飽かずにやってくる
そんな時こそ歩くのだ
歩いて歩けばふさぎの虫は死んだふりをしてくれる
もっと歩けばきっと
思い出し
笑いを
するだろう
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