21段目1番
さようなら ぼくは気まぐれ
自分の意思とは関わりなく生まれてきたのだから
自分の意思で死にたい
自殺とか自死を意味するのでなく
死ぬ2,3秒前までは、自分をキープしていたい
そして辞世の句ではないが、今わの際に
さようなら ぼくは気まぐれ
と、一発かましたい
いきなり後ろから頭をカチ割られたり
原爆水爆では死にたくない
では、最新作死行錯乱を読んでください
やがて死ぬとか、もうじき死ぬとか、あした死ぬとか
ぼくの詩には、死が頻繁に登場する
それは、死に身近に寄り添ってもらい、慣れ親しみたいから だ
たとえば2週間、死の存在を失念しちゃうと
死の恐怖は知らぬ間に膨れ上がって
2乗3乗になり、王子を抜けて十条になり
正確なカウンターで、叩きのめすのだ
「死んだら自分はなくなる」
と、ものごころつく前から、皮膚感覚で知っていた
けれど死を手にしたわけではない
いくら試行錯誤しても
また死んだところで、死は掴みきれるものではない
それなのに、死は無だという、観念を野放しにしてきたのは
もし自分の意識が永遠に消えないとしたら
己がいつまでもどこまでもついてまわり
ついに断ち切れないのなら
その方が死よりも遥かに恐ろしいからだ
天地無用の箱の中
「どっちが下で上なのか?」
千切るのか千切られるのか分からぬまま
とろけきってしまうのだろう
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