2021年5月1日土曜日

映画からの5曲 その3 ひまわり

 16段目11番

肉離れ


で、走れない
無理をすれば走れないこともないかもしれないが、無理はしないことにした
最近レースに出てもまともに走れた試しがない
前回のレースは1ヶ月以上前だ

それ以降左の脹脛に違和感を覚えて、ずっと走っていなかった
この前久し振りに走ってみたら、途端に肉離れ
しつこい筋肉痛が、喜び勇んでここぞとばかりに肉離れ化したのだ
筋肉痛にも肉離れにも、きっと言い分があるはずだ
言い分は聞いてあげるべきものなのではないか

(クボタ農機)とは、おにぎりを売っていたパヤオで知り合った
タイ人の奥さんと子供が1人いた 
10歳年下で首が太く、つまり太っていて、2人で飲んで馬鹿を言い合えば、天下無敵だった
テラス式カラオケ屋で飲んでいた時のことだ

気配もなく、音もなく、奥さんが現れ、いきなり農機の横っ面を張り飛ばしたのだ
また、おにぎりの店にこっそりとやってきて
「うちの旦那は、ああ見えて体が弱い あまり誘わないでくれろ」
と懇願したこともあった

誘いをかけてくるのは100%農機なのだが、頷いておいた
クボタ農機には離婚歴もある 
相手のフィリピン人は、別れた後も、南相馬の実家で農機の両親と一緒に暮らしている、のだという
奴に70000バーツ、日本円にして20万円貸した
10年過ぎた今も貸した状態のままだ
もう返っては来ないだろう
お互い居所も分からなくなってしまったし

クボタ農機にも言い分はあるはずだ
初めのうちは返す気があったかもしれず、俺を少しは楽しませた(報酬分)と捉えている、とも考えられる

エークเอกには8000バーツだ
貸したのは15年前、その半年後に5歳年下のエークは死んだ
これまた口から先に生まれてきたような男で、調子いいのも、噓をつくことに自覚がないところも、クボタ農機にそっくりだった

チェンマイで初めて借りたアパートは、タニン市場の裏手にあった
一軒おいた隣がエークの店で、週に5回は通ったものだ
一軒家の貸家には庭もあり、テーブルとジュークボックスを置いて、酒を売っていた
ポウムพ้อมというパートナーと、ビアเบียร์と、ブンบึงの2人の息子がいた

出会った当座、ブンはまだポウムのお腹の中だった
それが今ではワロロットに店を構える、30前の立派な入れ墨師だ

エークの店には常時、何人かデックスープเด็กเสร์ฟ〔女給〕もいて、金額が折り合えばヤルこともできた
ぼくはエークに弱みを握られるのを恐れ、貞操を守り通した
エークが、ぼくとポウムとの仲を疑い、ポウムを殴りつけた、と教えてくれたのもデックスープの1人だった

知り合って、何年かが、過ぎた
こちらからは連絡をしないようにしていた
ある真夜中、チェンマイで借りた3軒目のアパートに、突然訪ねてきたことがあった
「ブンが高熱を出した チャングプアク病院に行ったが現金がない 4000バーツ貸してくれ」
眉唾物だと思ったが、貸してあげた
それから2時間後にまたやってきて
「足りなかったから、あと4000バーツ寄こせ」と言う
貸さないなら梃子でもここを動かないぞ、という凄みがあった
これを機に縁を切ることができるのではないか、と結局は貸した

日本に帰り半年働いて戻ってみると、エークはエイズで死んでいた
あの時、傍目から症状は見えなかったが、エークは気づいていたのだ
それがエークの言い分にもなる
どうせ死んでいくのなら金をいくら借りたところで、屁にも負い目にもなりはしない、と

当時、進行を抑える薬は、まだ出回ってはいなかった
ぼくは平気でエークの嘘の片棒を担いだし、尻拭いも何度かした
エークはぼくを、ともだちと思っていたかも知れない
きっと、嫌いではなかった
金を借りる行為そのものが、2人の友情の証ではなかったか?

肉離れにも、クボタ農機にも、エークにも、それぞれの言い分がある
とすればこの地球上には70億個以上の言い分が溢れ、ひしめき合ってるわけだ
それを全部受け入れるのは生半可なことではないし、人の道から外れてしまう恐れもある
だが、それでも敢えて、なお
そういう人間にわたしはなりたい





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