16段目4番
仕方のないタイ国バス事情
タイと日本の間を行ったり来たりしだして三十年になる
このブログを定期的に覗いてくれてる人は、親、兄弟、親戚、知人を含めても世界に二人といないだろうが、どうもただの泥酔男と思われてる節がある
ここらで一発タイの文化や伝統に対するわたくしの見識、というかスタンスを披露したい
ついこないだまで少なくとも三十年前に、タイに酔っ払い運転を取り締まる法律はなかった
バンコク路線バスの運転手がストローで「チュウ、チュウ」いわせながら、缶ビール片手にハンドルをいらっているのを見た時には驚いた
そして長距離バスでもないのに、しょっちゅうガソリンスタンドに寄り道をする
給油するのではなく、兎撃ちยิงกระต่ายに行くのだ
糞をするのである
運転手によっては三十分以上戻ってこないのもいて、先を急ぐ乗客は仕方なくバスを取り替えるのだった
停留所で後続のバスが追い抜きざまにサイドミラーをへし折った時のことだ
我らが運転手は一瞬の躊躇もなく、そのバスを追いかけだした
いきなりバス同士のカーチェイスが始まったのだ
これは長期戦になると見たのだろう
運転手は、一度バスを止め、車掌に
「ご覧の通りだ、悪いが諸君はここで降り、次の九十四番に乗り換えてくれ」
と宣言させ、再び追跡にかかったのである
そんなアバウトでワイルドなタイのバスに、乗車を拒否されたことがある
ドンムアン発成田行きの便に間に合うようチェンマイから乗ったところ
「お前は酔いすぎてる 乗せてあげない」
と引きずり降ろされたのだ
それが最終で、あしたの朝まで待っていたら、飛行機は成田に着いてしまう
仕方なく三輪タクシーで空港へ駆けつけた
バスの六倍の運賃を支払い、乗機拒否されることなく機上の人となったが、今度はドンムアンで時間が有り余ってしまった
仕方なく鉄道駅の方に出て、また飲みだす
挙句の果てにチケットを消失させてしまう
泥酔自慢になってしまうので、このあとのアレコレは書かない
いつからか酒気帯び運転を取り締まる法律は整備され、罰則も年々強化されている
それでもタイのバスはよく事故ル
谷底へ落っこちたり、崖に体当たりしてひっくり返ったり
二桁以上の死者のでる事故が、年に二桁回数は起こる
そんな時不思議と運転手は生き残って、百パーセントその場から遁走する
そのアトどうなるノカは知らない
ぼくだって逃げる、と思う
彼らは悪くない
彼が運転士になったのは、稼ぎたいがためだ
稼がないと生きていけないからだ
悪いのは彼らではなく、貨幣制度だ
貨幣経済以前、俺たちはお金がなくても、ごく普通に暮らしていた
詭弁めいて聞こえるかも知れないが、俺はセメントでいっている
生まれたての赤ん坊に何の責任があるだろう
「自己責任なぞあっち向いてホイ!」だ
俺たちの遥かかなたの祖先たちは何らかの権利を行使して、マンモスを追っていたわけではないだろう
責任を感じて、あるいは義務を果たそうと、おまんこに明け暮れたわけでもないだろう
もともと俺たちには責任とか義務とかいったものはなかった
そんなものは何処かの誰かがあとから、でっち上げたにすぎない
遅まきながら、今さら詮無いことだが、就学就労の義務はどこかの誰かに、たとえば、安倍ノミノ晋三君に手鼻を添えてお返しする
この世には苦も楽も幸も不幸もない
義務も権利も自由も責任もない
あるのは
俺たちが手にすることができるのは
仕方のないことだけだ
だから何の理由もなく何処かの誰かにとっ捕まって殺されても、それは仕方のないことなのだ
ただ拷問だけは勘弁してほしい
イタイのは、イヤだ
猿轡を噛まされ両手両足を括られ、あの手この手でいたぶられるのを想像すると、それだけで気が狂いそうになる
でも映画なんかを見ていると気が狂うようなことはない
運よく失っても、水をぶっ掛けられれば、すぐ正気にかえってしまう
やるのなら、早漏で、否、速攻でお願いします
本当は、どこの誰にも俺を殺す権利も筋合いもへったくれもない
だが、これも、しゃあない、ことなのだ
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