2021年4月2日金曜日

角田光代の5冊 その5 空の拳 拳の先

 16段目3番

3.11


の時はタイのチェンマイにいた

テレビが映し出す映像は分別を超えていた


オームがサリンを撒き散らかした時は

京都の舞鶴だった

会社名は忘れたが、自動車の窓ガラスを作る工場で働いていた

(こんなことしている場合じゃない)と1週間でやめた


9.11は茨城県下妻市にいた

山一工業の寮から歩いて5分のトステムで働いていた

サッシを押し出した型枠にこびりついているアルミニウムを、苛性ソーダで溶かす作業に従事していた

こんなことしている場合じゃないと思わないでもなかったが、やめたりはしなかった


阪神淡路はバンコクで知った

東武新大平下駅の片側に広がる、日立の工場で働いたことがあった

工員専門の人買会社を通してだ

働くのは、すべからくタイへ行く資金稼ぎのためだ

研修に来ていたタイ人たちと仲良くなった

スキンヘッドにして、まだまもなかった

「ぼくは一休だ、一休と呼んでくれ」と彼らに強要した

研修の名目だったけれど、彼らは普通に働いていた

ぼくの日当が1万円で彼らは3千円だった

彼ら彼女たちを日光に案内した

それ以降の数年間は、タイに行けば、まず彼らを訪ねるのが通例になった


バンコク市内からパークナームปากน้ำ行き29番のバスに乗って1時間もすると、右手に工場が見えてくる

そこはもうサムットプラカーンสมุทรปราการで隣県になる

その日も正門の守衛室前で待っていると、彼らは連れ立ってやって来た 

いつもは1人1人バラバラに集まるのに

彼らは明らかに興奮していた 

口々に何か喚いている

ペンディンワイแผ่นดินไหว」と聞こえる

ペンディンワイは地震だ 1人が新聞を面前にかざした

断ち切られた高速道路の残った先に 車がかろうじて引っかかっていた

唖然とした


工場対面の飲み屋で軽くやった

「一休は歌が好きだから」と2軒目はカラオケ屋になった 

ピアノ弾きもギター弾きもいて、キャバレーのような雰囲気だ

研修時、彼らの寮に遊びに行ったことがある

みんなで人間なんてを歌った

#人間なんてラララーララーラー#と彼らに繰り返してもらい

ぼくは拓郎よろしく#何かが欲しいオイラ#とがなり続けた


阪神淡路の夜は、どこに泊まったのだろうか?

カラオケ屋でお開きになったあと、どこへ帰って行ったのか?まるで覚えていないのだった






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