2021年1月1日金曜日

LOSOโลโฃの5曲 その2 14อีกครั้ง ふぉーてぃーん

 13段目11番

代々木オリンピックプール


ぼくは泳げない
小学校にプールはあった
結膜炎でプールには入れなかった
それも慢性結膜炎で、プールの時間は見学と決まっていた
決して詐病ではない

その証拠に小6の時、結膜炎の診断はくだらなかった
水上運動会に出る羽目になってしまった
泳げない連中のために10メートルの距離が用意された
歩いでも潜ってもゴールさえすればいいいのだ
それなら「どうとでもなる」
「他を寄せ付けず圧勝しよう」とバシャバシャゴチャゴチャやったのだった
いつまでたっても着かない

苦しくなって立ち上がると、まだ3メートルと進んでいない
他の奴らはみんなゴールしていた
そのあとの記憶がない
遠い昔の話だ

果せるかな中学高校とプールはなかった
以降、泳ごうとしたことはない
で、今、代々木オリンピックプールにいる
このブログに何度も登場した青山杉作記念俳優養成所の同期生大将と一緒だ

昨夜は成城の隅っこ、大将のアパートでしたたかに飲んだ
きのうの酒はしっかり残っている
万能感も維持している
すっかり成長し、大人になったからには、泳げなかった記憶は冥王星より遥かに遠い
「泳げる」 
ようになっている、そんな気がした

代々木オリンピックプールが今もあるのかどうかは知らない
1975年当時、深さは一定ではなかった
中心に向かって行くに従い深くなった
プール4辺のうち1辺だけ、足が底についた

「溺れたら何とでもしてやる」という大将にそそのかされ同時にへりを離れた
3メートルも行かないうちに沈み始めた
いくら沈んでも足が底に着かない
大将が後ろから羽交い絞めにし、岸に引きずっていこうとする

「ああ死ぬんだ、プールで溺れて死ぬんだ」
深く重く納得しようとする、ぼくがいた
あとはよく覚えていない
大将の話では、監視員がロープを投げ入れ、大将はそれにつかまり、監視員が2人がかりで引っ張りあげてくれたそうだ
「ふざけるのも、たいがいにしろ」
と白髪交じりの監視員は吐き捨てたのことだ
ぼくは大将から離れ、屋外に出、日陰を探し、うずくまり寝たふりをしていた

さらに40年以上が過ぎた
大将は3年前、建設現場で作業中、居眠り運転のダンプカーに突っ込まれ即死した

時代は変わった ぼくも変わった 老人になった
知らぬまに、ぼくの比重が0.1ポイント軽くなり、今度こそ泳げるようになっている可能性がないでもない
ただ
それを試す気はない





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