13段目10番
大森兄弟
神野敬介という20歳の男を主人公に、某映画専門学院の夏休みの課題として書いたシナリオは、RCサクセション「スローバラード」の歌詞をそのままなぞり、タイトルもいただいたパクリだった
兄弟といえば、マラソンの宗兄弟、飛行機のライト兄弟、三味線の吉田兄弟、映画化もされた江國香織の小説、間宮兄弟といろいろある
一番身近な兄弟は、このブログに何度か登場した大将ヒロヨシの大森兄弟だ
ぼくと兄貴は9歳違うが大森兄弟は年子だ
大将と知り合って1年半後に、ヒロヨシが上京した折、大将が働く渋谷道玄坂ガード脇の居酒屋<ちっちゃな赤鬼>で、飲んでいたぼくは、ハチ公前まで迎えに行かされた
そしてそのままぼくのアパートに居候することとなった
銀座8丁目にあった天ぷら屋天國でのバイトを21時半で終え、目黒本町のアパートに帰り着いてから、シナリオに取り掛かると、ヒロヨシが話しかけてくる
すべて女の自慢話だった
親しかったのは大将だったが、だんだんとヒロヨシの方へ、移行していく
いろいろあった
10年20年と時は過ぎ、大将が都落ちし、ヒロヨシが続き、ぼくもアパートを引き払った
5年前、チェンマイからの帰り、関空で降りて倉敷に立ち寄り、20年ぶりの再会を果たした
最後まで東京に居座っていた2人の幼馴染み、サイちゃんも
嫌いなはずの実家に戻っていて、3日3晩4人で飲み上げた
その1年後に肝臓をやられてサイちゃんが、死んだ
またその1年後には、建設現場で作業中、居眠り運転のダンプカーに突っ込まれて大将が、死んだ
当時2人は一緒に住んでいて、身体を壊していたヒロヨシは大将に養われる形になっていた
それが慰謝料に有利に働き、何はともあれヒロヨシは一生食うには困らない身の上となった
そのオコボレというんじゃないのだろうが
「飲ませてやるから、倉敷まで出て来い」と言う
墓参りを兼ね、高速バスを飛ばして、おととしと去年、お世話になった
きっと今年も行くだろう
「スローバラード」は入選作に選ばれ「君の名は」の監督、元祖慶應ボーイ大庭秀雄をして「ことによったらこの作者は近い将来、日本映画界に旋風を巻き起こすかも知れないとさえ思った」と選評で言わしめている
人生にイケイケドンドンの時期があったとすれば、その時だ
己の可能性をまだ素直に信じていた
「ウンコしてやる」と仲間に見栄を切り、横浜駅構内の人だかりの中、実際に脱糞したりした
「天國」の洗い場に女子高生が2人やって来た
裏口の引き戸を開けた右側に、ピンク色の上っ張りを着たマル木バツ美を見たその時、目の前がパアーッと明るくなった
正月に帰省中、電話帳で池袋のマル木という消火器やを調べたらすぐに見つかった
マル木バツ美は消火器やの娘なのだ
マル田バツ子に初めて電話した公衆電話から、マル木バツ美に電話し、1月3日に天國と目と鼻の先の喫茶店「晴れたり曇ったり」での約束を取り付けた
「ことによれば」素人と一発できるかもしれない
だが待ち合わせの時間を3時間過ぎても、マル木バツ美は現れなかった
ずうっと「ことによることのない」人生だった
ヒロヨシの居候は2週間程だった
いつからか彼も「天國」で働き出して、縁は切れていなかった
ヒロヨシによると、ぼくが待ちぼうけをくらった1週間後には「すでにバツ美と一発キメていた」
のだそうだ
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