14段目7番
茅場町
共同ビル三階の産業新潮社に、高卒後おやじのコネで入社し、計画通り三ヶ月で辞めた
ビルの一階に写真屋があった
といってもスタジオはなく、受け渡しだけの店だから広さは三畳ほどだ
産業新潮社は産業新潮という月刊誌を刊行し、企業の提灯記事を載せ、広告を取る会社だ
名古屋と福岡に支社があり、大阪と東京に本社があった
副社長束ねる東京本社は、総勢十数人
そこに二十七歳の山本さんがいて、ぼくは懐いだ
一階の写真屋の店番をする佐々木さんは、山本さんより一つか二つ下の女だ 二人は仲が良かった
山本さんは共産党のシンパで、佐々木さんは党員だった
ぼくはYシャツのカラーや手首の内側の部分が、一日で汚れるのが悔しく許せず、首と手首に包帯を巻いて出社した
営業部長の吉村さんが「風邪かい?」と問うので、正直に事情を説明した
「それは止めてくれ」ということになり、襟と手首部分の裏側にセロテープを貼り付けたのだ
これは洗濯するとセロテープの糊が黒く残ってしまい常習できなかった
山本さんと佐々木さんは、そうした行為を面白がってくれた
会社を辞めたあとも、山本さんとは一年以上連絡を取り合った
また共同ビルから歩いて十分のところに、夫婦でやっているソケット作りの家内工場をアルバイトニュースで見つけ、短期のバイトで通ったことがある
昼休みになると写真屋を早足で目指した
カウンター越しに突っ立っていては邪魔になるだけなので、身を屈めて潜り込み、佐々木さんの隣に座って時を過ごした
山本さんが顔を覗かせることもあった
いったいどんな話をしたのだったか?
山本さんとの飲む約束を、娘の愛ちゃんが熱を出したとかで、ドタキャンされたことがある
山本さんは佐々木さんに代役を頼んだ
八重洲地下街のうどんやだった
何を食べたのか?
酒は飲んだのかどうか?
どんな話をしたのか? まったく覚えていない
ただその日は雨降りだった
佐々木さんは傘を手に黒いレインコートで地下街を歩いていた
淺川マキに似てると思った
淺川マキをもっと普通にした、とでもいえばいいのか
で、少しびっこをひいている
「佐々木さん、足が悪いの?」と問うと
「癖よ、せめてびっこでもひかなくちゃ、とひきずりだしたら
癖になっちゃったの」
と答えたのだ
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