2020年11月6日金曜日

浜口庫之助の5曲 その3 黄色いさくらんぼ

 12段目2番

失われたパスポート 2


チェンマイの日本総領事館は、空港近くファーイースタン大学と隣り合わせてエアポートプラザビジネスパークの一画に建っている


35年前はフアイケーオ通りの始まりあたり、今のチェンマイ教育委員会の対面にあった
セントラルデパートは、影も形もなかった
入ると、なぜか歯医者の待合室を思わせた 

日本の新聞もあったので何度か通った
その後サユリコンプレックスのある通りに越して行った 

サユリへは何十回となく自転車を走らせたが、領事館に立ち寄ることはなかった


教育委員会が35年前にあったかドウカはいざ知らず、ここのところ毎年主催するマラソンレースには4年連続で出場した

お堀の方へスタートをきりチャングプアク門、ターペー門、チェンマイ門、と走り抜け、スアンドーク門ステープ通りに左折し、ニマンヘミン通りを横切り、フアイケーオ通りを戻ってくる 

10キロに100mか200m欠けるようだが、1度目は42分08秒で走った


レース会場へはママチャリで行く
 

シリキット王妃植物園の時は2:00前に部屋を出た
エレファントキャンプまで行ったことはあるが、そこから先が分からない
メーリム1096号線に入ると漆黒の闇に包まれ「引き返すべきじゃないか?」と迷いに迷った
他にも参加する奴らはいるはずだが、
時間が早すぎるせいか、誰も追い抜いて行かない 

よしんば通り過ぎてもライトに照らされた後は数秒何も見えなくなってしまうので、かえって危ない 

20キロはあっただろう 

植物園のかすかな明かりを目にした時には安堵した


レースを繰り返すうちにいろいろなことが分かってくる
前日から泊まれるところもある

レースを主催するのは学校とお寺が多いから教室体育館お堂だったりする
ランプーンのナントカ寺の時はテスコロータスで購入した280バーツの、フードのない寝袋持参で行った 

ランプーンは隣県だが、県境からさらに10キロは先で、ざっと30キロ
当日の出発なら夜通しペダルを漕ぐところだ

その頃ネットの知識がなかったので、場所を確認するため3日前に下見に赴いた

所要時間も分かるし、申し込みもついでにできる


お堂の中ではみんながみんなテントを張っている 

蚊帳を吊ってるのも1人だけいる 

寝袋だけなのは俺1人、蚊につきまとわれ一睡もできなかった
次に備え、安売りで380バーツのテントを買った


テントを担ぎ、タイ4大マラソンのひとつコーンケーンマラソンに3回行った
だが強く印象に残っているのはサコンナコンのナントカ町で行われたレースだ

ママチャリじゃ、いつ着くか分からないから長距離バスだ

前々日の夜に出て、翌朝サコンナコンに入った

一応下調べはしてきたが、自信がないので隣近所の乗客にナントカ町への行き方を問い質す

言われた通りのバスストップで降り、言われた通りのローカルバス乗り場を捜した

なかなか見つからず疲労困憊した


なんとかナントカ町にたどり着いた

町が直接主催するらしく、スタートも寝泊まりする場所も役場の敷地内だ

遠征した時は夕方前にビールを飲みながら重めの食事をとる、その日もそうした 

戻ってみると食事が用意されていた

 

白米はもちろん焼きそばそうめんもある 

おかずは汁ものも含め7種類あって食べ放題だ 

デザートもフルーツもよりどりみどり

無理に少量づつ箸はつけたものの、悔しかった 

普通はレース後におかゆと揚げパンが出るくらいなのだ


レースの方は例のごとく30キロ前に足が動かなくなり、折しも雨が降って来たので、パトロールの車に乗っかって帰ってきた 

雨は土砂降りになっていた

きのうの分を取り戻そうとゆっくり朝食を楽しんでいると、全身びしょ濡れのランナーが身体をガタガタ震わせながらゴールするのが、遥か彼方に見えるのだった

ちなみにこの大会は1度きりでぽしゃった 

採算が取れなかったのだろう


そうだった 

パスポートのことを書こうとしているのだった 

ないのだった

普段の暮らしの中で、パスポートを持ち歩くことはない 

当時は1年ビザに必要な80万バーツの貯金に手を付ける前だったからビエンチャンへビザ取りに行く必要もなかった

「小さな恋のメロディー」のDVDパッケージにしまい込んでいた 

まだテレビは壊れておらずケーブルテレビを24時間流しっぱなしにし、映画ばかり見ていた


時々安いDVDがあると買ったり借りたりした 

捨てたり、やったり、失くしたりしても、常時20本はあり、気が向くまま、その中の1本に忍ばせていた 

「小さな恋のメロディー」には紙製の外カバーがついており、結句それに落ち着いた

トレシー・ハイドはどうしているだろう? 見るも無残に「太ってしまった」という噂を聞いたのだが


必要に迫られてではなく、そろそろ確認してみようかと、何気なくパッケージを開けたら見当たらなかった 

他のDVDにもない 家捜ししたがどこにもない 

アパートを引き払う際、手っ取り早く済むよう物は持たない主義だ 

20分あれば部屋中を引っくり返せる 

汗をしたたらせ1時間、ああだ、こうだ、したが出てこない

今は困らなくてもあとで困る

腑に落ちないまま日本領事館へ出っ張った

 

どこから入るのか少し迷った 

建物は堂々としており、35年前の領事館とは雲泥の差だ

2階に上がって再発行の手続き申請書に記入する

紛失証明書は必要なはずとロータス・ホテル横に間借りしている交番で用意していた

その上戸籍抄本が要るのだった

早速、姉に送ってくれるよう手配した

ところが10日待っても届かない

 

もう1度電話する 

「委任状が要る」のだと言った

梨の礫だったが、ならその由「何故に知らせてくれないのだろう?」 

それよりそんなもん「でっち上げれば」いいではないか!

姉は冷静な人で、本番に強く、ねじが1本足りないのじゃと思わせるほど、慌てることがない


俺が生まれる前のことだ

姉は便所に入った 

汲み取り式で小学生の頃までは、尻を拭くのに新聞紙を四角に切ったのを使っていた 

まず朝顔があり、ベニヤ板1枚隔てて金隠しがあった 

姉はそれにしゃがんでいた

そこへ下の姉がヨチヨチ歩きで、あるいはハイハイで侵入してきた

用が済んで姉は出た 

いつも薄暗い茶の間の掘り炬燵に、足を差し入れたかもしれない

しばらくしてリキという名の祖母が言った

「とよ子は、どうした?」 

姉は答えた 

「便所に落ちた」

 

この話は、祖母に母に下の姉に、幾度となく聞かされた

糞まみれになりながらも九死に一生を得た下の姉は、二十三歳の時から敬虔なるエホバの証人

「とにかく委任状はそっちで何とかして、きょうかあしたには送ってくれ」

と電話を切った


「まったく何、考えてんだか」と姉を呪っているうちに、ぼんやりとした記憶が甦ってきた

泥酔した俺は「パスポートを移動させた」のではないか 

そろそろ変え時と判断し、どこかへ移したような気がする

テントだ テントをしまうビニール製のケースだ 

開けるとテントの四つ角を留める金具と一緒に、黒い袋にあったのだ


領事館へとママチャリを走らす

再発行の手続きは、まだ開始されておらず戸籍抄本待ちとも考えられる

2階に駆け上がり、気持ちを落ち着かせ、順番を待った

「それがひょんなところからパスポートが〜」と事の次第を告げる

係員の応対はバンコクアソークにある領事館のそれより数倍、増しだった










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