2020年11月29日日曜日

坂東眞砂子の5冊 その5 やっちゃれ やっちゃれ

 13段目4番

親友
 
 
一枚の写真がある
校庭の片隅にあったセメントで固めた象の像の背中に、ぼくとウガジンウエナカワタナベが腰掛けている
鼻の所に担任のサイトウジンイチ先生が立っている
この時の先生は今のぼくよりだいぶ年下だが、慈愛に満ちた大人の顔をしている

ウガジンは写真館の息子で冬場でも半ズボンで通すお坊ちゃんだった
ウエナカのおとうさんは東照宮でナントカをしているそうだ
ワタナベの家はうちと似ていた 
つまり裕福ではなかった
ふたりは早々と生涯親友宣言をして「ワタさん、ヨモさん」と呼び合った

ある時これから二分以内にウガジンを泣かせて見せると豪語し、向こう脛を思い切り蹴り飛ばしてその通りにした
またある時は冗談半分のワタさんとの決闘が本気になり、砂場の砂にワタさんの顔を三分の一埋め込んだ 
泣かす気はなかったのにワタさんは泣いた
 
酒場でケンカになると、一方的に殴られるだけの今とは大違いだ
四年になるとクラス編成があり、三人とは離れ離れになった
サイトウ先生は別の学校へ行った
新しい担任とのソリが合わず、二回、ワタさんらと連れ立って一町離れたサイトウ先生の家へ遊びに行った

このように小学生のうちは何かしら、つながりがあった
中学に上がるとふたりは疎遠どころか無縁になった 
高校は同じだったが、ワタさんは果たして何組だったのか

ウガジンが死んだと聞いた
ワタさんの消息や如何に?
象の背中に座った時には一番遠い存在だったウエナカとは、上京後交流が生まれ、今に続いている

余計な話だがある時期
チェンマイにある親友という名のカラオケやへよく通った
そこのボーイと仲良くなり
「ちょいとひとっ走り日本へ出稼ぎに行ってくる」と、洒落込むと
「なら手土産に腕時計を買ってこい」と、のたもうのだった
親友はゴーゴーバーに変身し、件のボーイはマネージャーになった
ちなみに親友をタイ語式発音で言うとチンユウとなる





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