13段目2番
1週間
18で上京し蒲田に部屋を借りてから、40年以上1人暮らしが続いている
1人でいてもさびしいとか物足りないとか、感じる性質ではない
1週間1歩も外に出ないとか、1ヶ月誰とも口を聞かなかったなんてことはよくあった
それにともだちも少なく、訪れる人間は滅多にいない
田園都市線は尾山台と等々力のどちらから歩いても6分の、アパートに住んでいた20代前半、奇妙な1週間があった
月曜日 マサジが家出してきた
大学を出て家業の一部を任されたのだが、気持ちの整理はついても、整頓がまだのようだった
ここに何度も書いてきたように、酔って意識をトバすことくらい朝飯前だ
だが本当に気を失ったことは1度もない
それなのにマサジは、口を聞く間柄になった中2の時
すでに2度失っていて、それを誇りにもしていた
このあとマサジは仕事を探すふりをしながら、うちとクサカリのところを行ったり来たりする
火曜日 二子新地でやきとりやを営む姉が、子供を負ぶい何の連絡もなしに訪ねてきた
こっちから二子新地へ足を運ぶのはしょっちゅうだ
姉の方から我が家へやって来たのは、後にも先にもこの時だけだ
ごくごく普通の会話を20分ほどして帰っていった
「あれは、いったい何だったんだろう?」
あのときの子供は3人姉妹の1番下だったと記憶する
ウンチを1つ6畳1間にこぼしていった
水曜日 午前0時ナベさんがやってきた
ナベさんは渋谷道玄坂ガード脇の<ちっちゃな赤鬼>という居酒屋の常連中の常連で、そこで何度も働いた
何度もというのは赤鬼に飽きるとよそへ働きに行き、そこが厭になると復帰するのだ
そういったことを経営者は容認していた
辞める時には「もう戻るものか!」と心ひそかに誓うのだった
ナベさんは葉山から通勤していた
繰り返しくりかえし、最終電車に乗り遅れた
なるべくなら家に帰りたくないようだった
夜をやり過ごす場所を何箇所か押さえていた
21時ごろ店を出て行ったナベさんが「すまないねえ」と閉店間際に戻ってきて、客席にまどろむこともあった
「うちの良二はそちらにおりますかしら?」
という電話が週に1回か2回、店のピンク電話にかかった
そんなナベさんを部屋に泊めたのは失敗だった
味をしめナベさんは頻繁にやってきた
3夜連続で来たこともあった
人を介し、それとなくソレしてもらうとナベさんの足は止まった
だからその日は久方ぶりの登場だった
馬場脚本ゼミの新年会の流れで 平塚競輪に行った時だ
「ナベちゃんはどうしてる?」と声をかけられ
葉山と平塚のことでもあるし、てっきりナベさんのことだと思い込み、詐欺に引っかかった
そのあと男がナベちゃんと言うべきところをワタナベちゃんと言ったので、ああこれがあの有名などうしてる?詐欺と気づいたが「時すでに遅し」だった
典型的なマザコンのナベさんの本名は、ワタナベではなくナベサワだ
さほど酔っていなかったのだろう
その日は口数が少なかった
5時頃、目を覚ますと、いなくなっていた
木曜日 マサジ以外はだれも来なかった
新聞の勧誘もなかった
勧誘をうまく断るコツは、最後まで丁寧に応対するところにある
それが分からず3年後に、えらい目に合う
あまりにもしつこいので面倒くさくなりトイレに引きこもった
何と勧誘員は勝手に部屋に上がりこみ、ギブアップするまで帰らなかった
金曜日 午後10時、部屋がノックされた
出てみると女が立っていて「わたしのこと覚えてる?」 と言った
とにかく東京に出たかった
高卒後おやじのコネで、とある会社に就職した
計画通りそこは3ヶ月で辞めてしまう
そん時の背広が洋服ダンスで息を潜めていた
唐突に「これを着なければ」という強い思いに捉われた
せっかくの背広で定食やではアレなので、中目黒のキャバレーへと出っ張った
背広が効いたのかパートナーを口説くのに成功し、女は朝の6時にぼくの部屋から出て行った
それが1年近く前のこと
仕事を辞めたら12キロ痩せたという女は、まるで別人だった
やはり6時に部屋から出て行った
土曜日 マサジが敬愛するお姉さんの旦那が上京してきた
このお姉さんは、受験勉強の疲れから石油ストーブにガソリンを入れてしまい、家を燃やしてしまうのだ
体育の授業中にその知らせを受けたマサジは、顔を輝かせスキップでも踏むように、燃え上がる家へと帰っていった
炎の先の煙が校庭からも見えた
義理の兄貴の説得にマサジは「待ってました」とばかりに応じ、顔を輝かせはしなかったが、何だか意気揚々と引き揚げていった
中ジョッキ2杯とサイコロステーキをご馳走になったから、それはそれでいいのだが
日曜日 マサジの家出を肴にほていやの息子クサカリと飲んだ
0 件のコメント:
コメントを投稿