2020年11月18日水曜日

坂東眞砂子の5冊 その2 くちぬい

 13段目1番

淀川長冶に愛を込めて
 
 
日光劇場、通称日劇が火事で焼けたのは大ニュースだったはずだが、これといった記憶がない
家族して日劇へ黒澤明「天国と地獄」を見に行った時、覚えてないのだが、「帰んべ、もう帰んべよー」と泣き喚くので上映途中で帰る破目になったんだそうで、それからは映画が嫌いということになった

年に何回かの小学校の映画上映会の時は「気分が悪くなる」と講堂の板塀に寄りかかり地面を蹴ったりして時間を潰した
日曜洋画劇場の放送が始まったのは中学に上がる前
下の姉に合わせて見るようになった
「仔鹿物語」「アラバマ物語」にはいたく感激した
その頃どこかのテレビ局が何の前触れもなしに、真昼間に「禁じられた遊び」を流した
冒頭の空襲シーンには度肝を抜かれた
嫌いなのは暗闇で、映画ではなかったのだ

下の姉はスクリーンを愛読していた
ある時あるページを開いた
そこには女優の顔写真が50ほど並んでいた
「中から二つ選べ」と言った
選んだのは「バーバレラ」の頃のジェーン・フォンダアン・マーグレットだった
「思った通りだ、いい趣味してる」と二人の姉は喜び合った
姉たちのからかいにもめげず、好きな女優はアン・マーグレットと公言するようになり、いっぱしの洋画ファンになった
 
ララミー牧場の頃は気持ちが悪いだけのおっさんだった淀川長冶が知らぬ間にかわゆく見えてきた
彼のラジオを聴きだしてからは師匠になった
淀川長治が褒めた作品をけなすような評論家の書くものは二度と読まなかった
師匠の言葉は一言も聞き逃すまいとチューナーをつまんだまま必死で聞いた
東京へ出てきてなにがうれしかったかといえば、雑音のないラジオを聴けることだった

あえて嫌いな表現をする
淀川長治のラジオで何度生きる勇気をもらったことか
自分の意志で小遣いで、最初に見た映画は、宇都宮メトロ座にかかった「雨の訪問者」「シシリアン」
中学二年の時だった
その日は雨降りで、学生服に長靴といういでたちで、日光は東武駅前<ほていや旅館>の玄関に立った
それを見た女将が「あら、カッちゃん、ヨモギタさんは学生服よ」と言った
それを聞いた旅館の息子は部屋に取って返し、学生服に着替えてきたのだ

この後は余分な手間を取らせては申し訳がないと私服で出かけるようにした
「大脱走」は今市東映で見た
高校入試の前々日で小雪がちらつく底冷えのする日だった
場内のど真ん中で七輪が真っ赤に音をたてていた
客は10人いたかどうか、翌日ほていやの息子は38度の熱を出したらしいが、試験は無事通った

案の定、今市東映はつぶれ、長い間放置されたままだった
気になるので気合を入れ、事務所兼物置といった部屋に侵入を試みた
机に大正末期昭和初期のキネマ旬報が山積みになっていた
見過ごすわけにはいかなかった 
クサカリと山分けにし、読み終わったところで交換した

我が生涯のベストワンは「明日に向かって撃て」
これも宇都宮でクサカリと見た
前日にカトウマサジが近寄ってきて「あした宇都宮へ行くんなら、これ使えばいいべ」
と鶴田ー宇都宮間の切符をくれた それを使って捕まった
駅員はねちねちしつこかった
正規の運賃を払えばそれで済む、と思ったが甘かった
日光ー宇都宮間の往復料金の3倍の金を寄こせというのだ
どう決着がついたのかは覚えていない
「親に知らせるぞ 学校に連絡するぞ」と脅迫し、家の電話番号や担任の名前、はては家族構成まで聞き出すのだった
余程暇だったのだろう、1時間過ぎても駅員は喋り続けていた

ほていやの息子が気がかりだった
キセルしようとしていたことを、彼は知らない
もしあの時、携帯があったなら「先に行ってくれ」とメールしただろう
クサカリは辛抱強く待っていた、そして信じられないといった顔つきで、ぼくを見た

というわけで館内に入るとポール・ニューマンが、後ろ向きで自転車にまたがっていたのだ
生涯のベストワンが上映途中から見た映画だなんて、赤い顔して赤面しちゃう
「師匠!どうかお目こぼしを」
淀川長治の晩年はホテル住まいだった
彼の文章は歳を取るほどに凄みを増し、縦横無尽になっていく
<淀川長治自伝上下>はジャンルを超えた比類なき傑作である





0 件のコメント:

コメントを投稿