12段目4番
不法滞在
失くしたパスポートの代わりに「帰国のための渡航書」を押し戴いて帰ってきた時、本当に不法を犯してしまったのだろうか?
つまり、帰国のための渡航書に急遽押されたスタンプは、辻褄合わせの「でっち上げではない」ということなのか?
疑問だが、記憶に自信を持てないのだから、一生謎のままだ
それはそれとして正真正銘の不法滞在を、意図的ではなかったが、やってしまったことがある
ノービザでの滞在期間が2週間から1ヶ月に延びて間もなくの頃だ
マレーシアのペナンでタイのツーリストビザをダブルで取り、1ヶ月の延長を2回し、6ヶ月滞在するのを習慣にしていた
耳よりの情報を聞いた
メーサイから橋を渡り、ミャンマーのタチレクで、入国印と出国印をもらって来る方法があるのだが「5回か6回までなら、何ら問題はない」と
ビザの延長は入国管理局でする
その度に1900バーツがかかってしまう
タチレクでくれるスタンプには500バーツを払う
米ドルなら確か5ドルでチェンマイ〜メーサイ間のバス代を入れたとしても割安だ
ペナンは取りやめてノービザが切れる前、タチレクへと出向いた
ツーリストビザがなくても出入りが6回できるなら、それに越したことはない
1回目問題なし、2回目も何も言われなかった
あと3回タチレク詣をすればビザなしでも、半年タイにいられることになる
さらに耳よりの情報を得た
本人はタチレクに渡らなくても、話をうまく持っていけばスタンプがもらえるらしい
早速試した
タイ側の検問所でパスポートを示し、係員に
「MYANMARTACHILEIKตรายาง「スタンプ」OK?」とタイ語で言った
「ぼくは行かない ここにいる それでOK? ผมไม่ไป、อยู่นี้ OK?」と続けた
バンコクのソー・ソー・トーで2週間だが、タイ語を勉強したタイ語力は英語を遥かにしのぐ
と言っても、英語のレベルは幼児以下
アルファベットを大文字で書けても、小文字で全部は無理だ
日本人以上にタイ人はOKを愛用する
係員はきょとんとしている
「実はある人から聞いたのだ」と順序だてて説明し「トクロングตกลง?OK?」と追い打ちをかけた
係員が頷いたように見えた
「いくらですかเท่าไรครับ?」と丁寧に問いかければ20バーツの由
500バーツが20バーツってことはないだろう
パスポートと引き換えに残りを支払うのだと思い、とりあえず20バーツは払った
係員はパスポートを横っちょに置き、次の人に合図した
ポツポツと人はやって来て、列はなかなか途切れない
とにもかくにもパスポートは受け取ったのだ
これから誰かが向こうの検問所へ赴くのかもしれない
あるいはタチレクの入出国の判子が、こっち側に用意さてる可能性もある
ここで待機するのは得策ではないと見た
それほど離れていない土産物屋も兼ねた食堂で、小1時間かけて昼飯を食いリオビールを1本飲んだ
検問所に戻る
パスポートはさっきのポジションになかった
「パスポート、プリーズ」
つい、英語が出てしまった
係員が引き出しからパスポートを取り出し手渡してくれた
「いくらですかเท่าไรครับ?」と再び聞く 係員が何か言った
きっと「マイトングチャイไม่ต้องจาย」と言ったのだ
「払う必要はない」って
「コープクンクラップขอบคุณครับ」と3回連呼した
手続きはコロコロ変わるから、この1ヶ月の間に20バーツになったのかもしれない
よくよく考えれば出入国の捺印にお金を払うのもおかしなことだ
「これは儲かった」とバスターミナルでバス待ちする間に、ビールを飲みすぎてしまった
小休止のメーカチャンまで我慢が効かず、運転手にお願いしてバスを止め、小便をした
1ヶ月後また検問所で前回同様パスポートを差し出し「どうかパスポートにターチレイのスタンプをお願いしますกรุณาตีตราTACHILIKหน่อยฃิครับ」と言った
今回はあらかじめ、タイ語に磨きをかけたのだった
パスポートをめくる係員の手が止まり、表情が変わった
何か言ったが、まったく聞き取れない
タイ語なのか英語なのか、それすら分からない
係員がパスポートを開いて突き出し指差した
そこには1ヶ月前のタイ国の出国印があった
それなのにあるべきはずの、タチレクの入国出国のスタンプが見当たらない
1度たりともパスポートを確かめたりはしなかった
係員がぶつぶつ何か言っている
さっぱり分からない
ミャンマー側に渡る人が次々にやって来る
邪魔になっているようなので、1歩退いた
「俺はどうなるのか?」
いくらか袖の下を使えば、何とかなるのだろうか?
最悪の場合刑務所だろうか
となればタイは出たことになってるのだから、ミャンマーだろうが、不法滞在したのはタイ側だ
怖さは襲って来なかった
恐怖心を実際に体感するのはむずかしい
このままでは日が暮れてしまう
100均で買ったストップウォッチ型の時計を、肩下げ布袋から取り出そうとした時
「どうかしましたか?」と声をかけられた
まさに地獄に仏天の救けだ
その日本人に滔々と事情を述べ立てた
日本人は信じられない、といった顔つきだ
1人の係員を示し「たぶんあいつだったと思う、あいつが分かった、OKだ」と言ったのだと繰り返す
OKと答えたかどうかに自信はないが、頷くようにしたのは確かだ
日本人はぼくを横に従え、何やら喋り始めた
どうやらタイ語だが5%も聞き取れない
男が言った
「責任者がきょうはいないようです あした8時にここに来るようにとのことです 何とかなると思いますよ いくらかは払うでしょうが」
「いくらくらいでしょう?」
「さあそれは何とも 泊るところの当てはありますか?」
「前に1度泊ったメーサイホテルにします」
男は自分のアパートへと誘った
何らかの企みを疑わないわけでもなかったが、命の恩人なので応じた
男は体つきも雰囲気も、こじんまりとしていた
大学の講師をしていて、長い休みには、メーサイに来て同じアパートを借りるのだという
アパートの住人の9割は日本人で、うち3割は女と住んでいるとのこと
男は5歳くらい年上だろうか
サーイ川の方へ降りて、少し歩き、男の住むアパートの2階に上がった
口の字型に通路があり、道路に面して、窓際に置かれたテーブルへと、導いた
日本人が3人座っていた
1人は丼でうどんを食べている
男は事件の顛末を、男たちに語って聞かせるのだった
聞かれたことには答えたが、こっちから話したりはしなかった
アパートには常時日本人が10数名いるそうだ うち5人は「誰とも交渉を持たない」と言う
1時間ほど4人の話に耳を傾けたところで
「ぼくはそろそろ」と言った
「バイクがあります ホテルまで送りましょう」
<そこまでしてもらっては>と固辞した
「豆腐屋まで一緒に行きましょう 毎日夕方に買うんです」
店の前で別れたあと、お礼をしていないのに気づいた
「やっぱり一杯奢るべきではなかったか?」
「パスポートはイミグレーションにある」
と告げると宿泊に問題はなかった
翌朝、部屋を出ようとすると男と出くわした
何とバイクで迎えに来てくれたのだ
ボーダーの検問所に責任者が待っていた
男が代わりに話してくれた
3000バーツでケリがついたということだが、2000バーツしか用意していなかった
おろしに行くしかない
男のオートバイに跨った
手数料20バーツがかからないバンコク銀行へ行くつもりだったが
「待たせるのは、まずいでしょう」
と男は一番近くのATMに止めた
国境の橋からパホンヨーティン通りを、バスターミナル方向へ2キロ行くと、左手にメーサイホテルがある
バンコク銀行はさらに先だ
責任者に3000バーツ支払うと、パスポートを返してくれた そのページにいつ押したのだろう、1ヶ月前の日付でミャンマーの入国印と出国印があった
またすぐ入国スタンプを捺してもらわなければならない
パスポートを持って窓口に向かうと、背後から責任者が何か言った
男が通訳してくれた
「これが最後だ 次からはツーリストビザがなければ出国は認めない それも1回だけだ」
男に言った
「お礼がしたいので、スタンプをもらうまで待っててほしい」
「いいですよ そんなの」
本当に男は待ってなかった
3000バーツは一瞬、高いと感じた
考えてみれば、不法滞在は事実だ
今は500バーツだが、当時の罰金は1日100バーツ
30日で3000バーツは、ぼられていない
自分のあまりにものふがいなさに、2,3日落ち込んだ
「これからパスポートを用いたら、必ず開いて確認するのだ」
と、固く固く誓うのだった
誓ったが、20年後に、似たようなミスを犯してしまう
あるべきはずの帰国印が、どこにも捺されていなかった
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