2020年11月1日日曜日

浜口庫之助の5曲 その1 夕日が泣いている

 11段目11番

丸井絹代信夫夫妻宛に



毎朝、葉書を出していた時期がある

母に言われた通りの文章を何日か分書き溜めし、東中学校へ通う途中、東武日光駅に寄り添うポストに投げ入れていた

それよりなにより仏様にご飯を上げる時、これまた母が書いてくれた草稿を読み上げるというか、唱えてもいた

南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、諸仏ブッショコネン様ブッショコネン様

私は蓬田秀雄でございます。日頃の行いままならず気が付けば禿げていました。できますればお知恵拝借いたしたく云々と

カタカナの部分はうろ覚えで、この前ネットで調べてもはっきりしなかった

迂師寮法縁かも知れない

母は日蓮宗を、たぶん迂師寮法縁という流派を信心していた


母に連れられ身延山久遠寺へお参りに行ったことは「ケ」と題した詩で述べた

中学2年の11月に円形脱毛症を発見してから、人生に霞がかかったようになったのは確かだが、あくまで人一倍心配性の母親孝行のつもりだった

ただ藁にも縋るという日本語には心底感心した

中学3年になる春休みに数日続け、丸井さんの自宅に押し掛けた

覚えているのは茶の間の掘り炬燵に足を伸ばしたことだけだ

母と拝んだりしたのだろうか?

母に言わせると、絹代さんは霊が見えるが信夫さんは見えず、秘書的存在とのこと

丸井さんの家は街中から大谷橋を渡り、橋下の方へ左に折れて行った先にあった


ハゲが治ってしばらくし、35になった年

母は死ぬ半年前に脳梗塞で入院した

症状は軽かったが、退院してからも顔の憂いは取れなかった

リハビリのつもりだろう 

杖を片手に八畳間をひたすら回り続けた 外に出ようとはしなかった

その八畳間に母と父とぼく、3人で寝る

夜中に母は枕元の洗面器に身を捩って何度も戻した

その度に吐瀉物をトイレに流し、流しで洗った

ある時父が文句を言った

「トイレに捨てずに側溝に捨てろ」と

死ぬ2週間前「病院を替わりたい」

と母は父に言った

父は首を縦に振らなかった

お祓いを受けたいから〇〇さんを呼んで欲しい、とも言った

〇〇さんと日蓮宗の関係は分からない

脱毛症が治ってしまえば母の信仰に興味は保てない

父は何をも認めなかった


自力で病院を替わることはできなかったのだろうか?

父を無視して〇〇さんに連絡しようと思わなかったのだろうか?

母が暗い声で願い出るのを、ぼくは黙って聞いていた

何も言わなかったし、何もしなかった



付記 ひょんなことから母が書いたものが見つかりカタカナの部分がはっきりした ぼくはこんなふうにお題目を唱えていた 南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、南無諸仏諸天善神様南無諸仏諸天善神様、



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