11段目10番
ケージちゃん
は「啓次」と書く
啓示ではない
ぼくは4人目だからなのか、母のは、出が悪く
鶴見さんちの、ミヨちゃんから
「ヒデオちゃんはわたしのオッパイで育ったようなもんよ」
とよく聞かされた
家から大谷川まで歩いて2分30秒だが、途中の大藤さんの辺りは、昔3本杉と呼ばれ、こんもりとした繁みだった
木工所があり、おが屑や切れ端が崖下に打っちゃられ、恰好な遊び場になった
河原へと下っていく小道を挟んだ大藤さんの向かいは、柴田さん夫婦の家だが、ずうっと昔は鶴見さんちだった
おっぱいを飲んだのはその家のはず
ものごころが、つかないうちに、川岸へ100m移動した
今でこそ家が立て込んでいるが、最初は1軒きりで回りは全部鶴見さんちの庭みたいだった
1枚の写真がある
幼稚園の頃だろうか、2人が立ち姿で並んでいる
ケージちゃんは半ズボンに襟付きのシャツとチョッキを着坊っちゃん刈りだ
ぼくは坊主頭で綻びたジャケツを重ね着し、膝の抜けたコール天のズボンを穿いて、いかにも貧乏人っぽくカメラを睨んでいる
「ふたりは乳兄弟だから仲がいいのよ」
確かによく遊んだ
小学生になると登校する班は違ったが、休みの日には必ず会った
夏休みともなれば「ひでおちゃん!遊ぼ」と毎朝やって来た
ただし鶴田に住んでいる1歳上の従兄ツネオちゃんが滞在する1週間を除いて
ツネオちゃんと口を聞いた記憶はない
嫉妬していたのだろうか?
ケージちゃんが6年の時、成り代わってラブレターを書いたことがある
相手はケージちゃんと同じクラスのマル原バツ子だ
以前日光和楽踊りの夜という詩をこのブログに載せた
二十歳のぼくは日光プリンスホテルでバイトをする
マル原バツ子は正社員として働いており従業員食堂で数度顔を合わせた
ラブレターは功を奏しなかった
ケージちゃんは中学生になった
1年後、ぼくも中学生になりケージちゃんと同じ野球部に入った
その時からケージちゃんは「鶴見さん」になった
周りからは「ケーピー」と呼ばれていた
多少バカにしたニュアンスが、なくもなかった
多分勉強が、まったく出来なかったからだろう
だが野球の、特に走塁のセンスは抜群だった
例えばピッチャーがファーストへ牽制球を投げる
ファーストが投げ返す
こんなこと滅多にないが、それでも1万回に1回は魔が差すのだろう
返球を受け取ったピッチャーが、ついもの思いに耽ってしまう
その一瞬をケージちゃんは見逃さなかった
顧問の市花先生も「ケーピーを見習え」と事あるごとに言っていた
ケージちゃんのバッティングフォームを思い浮かべることは、もうできないが、走塁のシーンならいくつか再現できる
高校を卒業して日光を離れた
それでも年に1度や2度は帰る
関西ペイントに就職したケージちゃんとは、3年に1回とか5年に1回の割でばったりと会った
「今度、飲もうよ」という話になることがあった
飲んだことはなかった
これからもないだろう
晩年の母はベッドの敷布団の下に、葉書を2通しまい込んでいた
「ひでお、そっとだぞ、そっとな」
と、まるで秘密を打ち明けるみたいに読ませてくれたことがある
下の姉と、ミヨちゃんからのモノだった
それは、母の最期の支えだった
組が違うのでミヨちゃんは、葬式の手伝いに来なかった
だが、突然縁側の方から泣き声が聞こえてきた
行ってみるとミヨちゃんだった
外から8畳間の遺影を拝むようにして
「サダちゃん、何で死んじゃったのよ、どうして相談してくれなかったのよ」
と泣きじゃくる
上の姉が「上がってください」
と言ったが、ひとしきり胸の内をさらけ出すと、帰って行った
青年となった息子と連れ立って歩くケージちゃんと、すれ違った
理想の親子に見えた
ミヨちゃんが死んで何年経っただろう?
その時、日光には「いなかった」のだからと、線香あげにも行かなかった
久し振りに出会った時、そのことを詫びた
この前、ケージちゃんを見かけた
ママチャリを駐輪スペースで降りるとかましんショッピングセンターに入っていくところだった
初めて見るが、寄り添っているのは奥さんだろう
やり過ごすことにした
だが「似たもの夫婦」とはよく言ったものだ
小太りの2人は歩くのが異様にのろい
やり過ごすのに苛立ってきて「ええい、ままよ」と踏み込んだ
ケージちゃんたちは、まだエスカレーターの手前をウロウロしている
実は3階の100均に用があるのだが、知らんぷりもできない
で、「ケージちゃん」と声をかけた
ケージちゃんと呼んだのは小学生以来だ
「清原の市営住宅に越したのだ」と、二言三言言葉を交わす
ケージちゃんはエスカレーターに乗っかって行った
あとに続くのもアレなので100均はあきらめる
1階のスーパーで、牛蒡と、玉葱と、もやし、ワンカップ焼酎、すご芋2本を買ってレジを出た
と、降りてきたケージちゃんたちが、いた
「さっきはどうも」と言うと奥さんが、あらためて挨拶するのだった
「奇跡だね」
ケージちゃんが言った
「行きも帰りも会っちゃうなんてさ」
そうなのだ!
啓示に出くわさなくとも奇跡はそこいらにあるのだった
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