2020年10月28日水曜日

山田太一の5本 その5 5年目のひとり

 11段目10番

ケージちゃん



は啓次と書く 啓示ではない

ぼくは4人目だからなのか母のは出が悪く

鶴見さんちのみよちゃんから「ヒデオちゃんはわたしのおっぱいで育ったようなもんよ」

とよく聞かされた

家から大谷川まで歩いて2分30秒だが、途中の大藤さんの辺りは、昔3本杉と呼ばれ、こんもりとした繁みだった

木工所があり、おが屑や切れ端が崖下に打っちゃられ、恰好な遊び場になった

河原へと下っていく小道を挟んだ大藤さんの向かいは、柴田さん夫婦の家だ

ずうっと昔は鶴見さんちだった

おっぱいを飲んだのはその家のはず

ものごころがつかないうちに川岸へ100m移動した

今でこそ家が立て込んでいるが、最初は1軒きりで回りは全部鶴見さんちの庭みたいだった

1枚の写真がある

幼稚園の頃だろうか、ふたりが立ち姿で並んでいる

ケージちゃんは半ズボンに襟付きのシャツとチョッキを着坊っちゃん刈りだ

ぼくは坊主頭で綻びたジャケツを重ね着し膝の抜けたコール天のズボンを穿いて、いかにも貧乏人っぽくカメラを睨んでいる

「ふたりは乳兄弟だから仲がいいのよ」

確かによく遊んだ

小学生になると登校する班は違ったが、休みの日には必ず会った

夏休みともなれば「ひでおちゃん!遊ぼ」と毎朝やって来た

ただし鶴田に住んでいる1歳上の従兄ツネオちゃんが滞在する1週間を除いて

ツネオちゃんと口を聞いた記憶はない

嫉妬していたのだろうか?

ケージちゃんが6年の時、成り代わってラブレターを書いたことがある

相手はケージちゃんのクラスのマル原バツ子だ

以前<日光和楽踊りの夜>という詩をこのブログに載せた

その中で二十歳のぼくは日光プリンスホテルでバイトをする

マル原バツ子は正社員として働いており従業員食堂で数度顔を合わせた

ラブレターは功を奏しなかった

ケージちゃんは中学生になった

1年後、ぼくも中学生になりケージちゃんと同じ野球部に入った

その時からケージちゃんは鶴見さんになった

周りからは「ケーピー」と呼ばれていた

多少バカにしたニュアンスがなくもなかった

多分勉強がまったくできなかったからだろう

だが野球の、特に走塁のセンスは抜群だった

例えばピッチャーがファーストへ牽制球を投げる

ファーストが投げ返す

こんなこと滅多にないが、それでも1万回に1回は魔が差すのだろう 返球を受け取ったピッチャーが、ついもの思いに耽ってしまう

その一瞬をケージちゃんは見逃さなかった

顧問の市花先生も「ケーピーを見習え」と事あるごとに言っていた

ケージちゃんのバッティングフォームを思い浮かべることはもうできないが、走塁のシーンならいくつか再現できる

高校を卒業して日光を離れた

それでも年に1度や2度は帰る

関西ペイントに就職したケージちゃんとは、3年に1回とか5年に1回の割でばったりと会った

「今度飲もうよ」という話になることがあった

飲んだことはなかった これからもないだろう

晩年の母はベッドの敷布団の下に、はがきを2通しまい込んでいた

「ひでお、そっとだぞ、そっとな」

とまるで秘密を打ち明けるみたいに読ませてくれたことがある

下の姉とみよちゃんからのものだった

それは母の最期の支えだった

組が違うのでみよちゃんは葬式の手伝いに来なかった

だが突然縁側の方から泣き声が聞こえてきた

行ってみるとみよちゃんだった

外から8畳間の遺影を拝むようにして

「サダちゃん、何で死んじゃったのよ、どうして相談してくれなかったのよ」

と泣きじゃくる

上の姉が「上がってください」と言った

が、ひとしきり胸の内をさらけ出すと帰っていった

青年となった息子と連れ立って歩くケージちゃんとすれ違った

理想の親子に見えた

みよちゃんが死んで何年経っただろう?

機会を逸したのをいいことに、線香あげにも行かなかった

久し振りに出会った時、そのことを詫びた

この前、ケージちゃんを見かけた

ママチャリを駐輪スペースで降りると、かましんショッピングセンターに入っていくところだった

初めて見るが寄り添っているのは奥さんだろう

やり過ごすことにした

だが似たもの夫婦とはよくいったものだ

小太りのふたりは歩くのが異様にのろい

やり過ごすのにいらだってきて(ええいままよ)と踏み込んだ

ケージちゃんたちはまだエスカレーターの手前をウロウロしている

実は3階の100均に用があるのだが知らんぷりもできない

で、「ケージちゃん」と声をかけた

ケージちゃんと呼んだのは小学生以来だ

「実は清原の市営住宅に越したのだ」とかなんとか二言三言言葉を交わす

ケージちゃんはエスカレーターに乗っかって行った

あとに続くのもアレなので100均はあきらめる

1階のスーパーで牛蒡と玉葱ともやしとワンカップ焼酎すご芋2本を買ってレジを出た

と、降りてきたケージちゃんたちがいた

「さっきはどうも」と言うと奥さんがあらためて挨拶するのだった

「奇跡だね」

ケージちゃんが言った

「行きも帰りも会っちゃうなんてさ」

そうなのだ!

啓示に出くわさなくとも奇跡はそこいらにあるのだった






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