11段目9番
丸茂重造
は、同じ稲荷町2丁目の住人だった
おやじはチビで猫背だったが重造はそこそこのガタイで江夏豊を色黒にし、さらに渋みを加えたような風貌をしていた
「あいつは女に、だらしがない」とおやじは徹頭徹尾嫌っていたが、宿命のライバルでもあった
日光市議会議員選挙で最下位争いするのは、いつだって二人だった
おふくろは「他のことはこれまで通りで結構だ どうか選挙にだけは出ないでくれろ」
拝むように願い出た
だが、聞く耳を持たなかった
小学2年の帰り道、選挙カーがぼくを拾って家まで送ってくれた
その頃は、演説の練習をしすぎて血を吐いたおやじを、まだ尊敬していた
晩酌はしなかったが、会費制の集まりや、ただ酒が飲める機会があると<ベロンベロン>になって帰ってきた
おふくろに靴下を脱がせ、ぼくと相撲を取った
小学6年の帰り道、選挙カーが、ぼくを見つけた
「管理委員会がうるさくて、乗せることができない」
おやじが、車の窓から言った
おやじを、嫌いになりかけていた
おやじと重造は、どちらが年上だったのだろうか?
おやじはだいぶ前、92で死んだ
重造はそれより遥か昔に死んだのではなかったか
一緒に暮らしていた女が身まかると
「しばらく寝込んだ」
そんな噂を耳にした
近所だから、すれ違うことがある
重造が向こうからやって来ると、道を譲るようにして歌うのをやめた
その鼻歌には、太刀打ちできなかった
高校時代に1度だけだが、ラブレターを貰ったことがある
(バスの中から時々見かけます いつも下を向き、何か呟きながら歩いています
いったい何を考えているのでしょうか?)
呟いてなんか、いなかった
歌っていた
歩きながら、あるいは何かをしながら歌うのは、小さいころからの癖だ
6年1組の時、清水君枝は
「よもさんのせいで柳ヶ瀬ブルースを覚えてしまった 美川憲一は好きじゃないのに」
と恨めしそうに言った
日光高校まで往復10キロの道程を3年間歩き通した
国道119号線を道なりに上がって行けば日高だ
目先を変えるため二社一寺の参道や境内を通り抜けた
東照宮表門の手前でよく、重造を見かけた
鶯の笛を売るのが重造の商売だ
「ホー、ホケキョ」
と吹き鳴らしながら、のしりのしり歩いていた
笛を咥えれば鼻歌は無理だ
代わりに
「ぷ~ん」
と酒の香りが漂ってきた
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