2020年10月24日土曜日

山田太一の5本 その4 終わりに見た街(1982年版リメイク版は未見)

11段目9番

 丸茂重造



は、同じ稲荷町2丁目の住人だった

おやじはチビで猫背だった

重造はそこそこのガタイで、江夏豊を色黒にし、さらに渋みを加えたような風貌をしていた

「あいつは女にだらしがない」とおやじは徹頭徹尾嫌っていた

宿命のライバルでもあった

日光市議会議員選挙で最下位争いするのはいつだって二人だった

おふくろは「他のことはこれまで通りで結構だ、どうか選挙にだけは出ないでくれろ」

拝むように願い出たが、聞く耳は持たなかった

小学2年の帰り道、選挙カーがぼくを拾って家まで送ってくれた

その頃は演説の練習をしすぎて血を吐いたおやじを、まだ尊敬していた

晩酌はしなかったが、会費制の集まりやただ酒が飲める機会があるとベロンベロンになって帰ってきた

おふくろに靴下を脱がせて、ぼくと相撲を取った

小学6年の帰り道、選挙カーはぼくを見つけた

「管理委員会がうるさくて乗せてることができない」

おやじが車の窓から言った

おやじを嫌いになりかけていた

おやじと重造はどちらが年上だったのだろうか?

おやじはだいぶ前92で死んだ

重造はそれより遥か前に死んだのではなかったか

一緒に暮らしていた女が身まかると、しばらく寝込んだ

そんな噂を耳にした

近所だからすれ違うことがある

重造が向こうからやって来ると、道を譲るようにして歌うのをやめた

その鼻歌には太刀打ちできなかった

高校時代に1度だけだが、ラブレターをもらったことがある

 バスの中から時々見かけます いつも下を向き何か呟きなが    

 ら歩いています

 いったい何を考えているのでしょうか?

呟いてなんかいなかった

歌っていたのだ

歩きながら、あるいは何かをしながら歌うのは、小さいころからの癖だ

6年1組の時、清水君枝は

<よもさんのせいで柳ヶ瀬ブルースを覚えてしまった 美川憲一は好きじゃないのに>

と恨めしそうに言った

日光高校まで往復10キロの道程を3年間歩き通した

国道119号線を道なりに上がって行けば日高だ

目先を変えるため二社一寺の参道や境内を通り抜けた

東照宮表門の手前でよく重造を見かけた

鶯の笛を売るのが重造の商売だ

ホーホケキョと吹き鳴らしながら、のしりのしりと歩いていた

笛を咥えれば鼻歌は無理だ

その代わりのように

ぷ~んと酒の香りが漂ってきた






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