11段目8番
ドムリー
チェンマイで初めて借りたアパートは、チョタナ通りからタニン市場を通り抜け100m先にあったが、それまではPKゲストハウスが定宿だった
その頃はまだ、観光気分が滞っていて、4泊5日のトレッキングに紛れ込んだりした
ぼくよりチョット年下のオランダ人カップル、チョット上のドイツの男、30過ぎのスウェーデン年増、あと2人か3人いたかも知れない
ガイドは「ナニ」がリーダーで「ヒトチ」という20前後の奴、14を自称するナニの弟「ドムリー」の3人だった
14歳が本当ならベビーフェイスもいいとこだ
身体も小さいから小学低学年にしか見えない
「日本人だ」と言ったら、いきなり「ニンジャ」になった
ドムリーという名はあとで知ったが、本名だろう
タイ人はニックネームで呼び合うが、それを聞き取る能力はなかった
呼びかける必要がある時は対抗上こっちも「ニンジャ」とした
ある時「ニン」と省略したら、心得たもので「ジャー」と返してきた
ニンとジャーを数回繰り返したあと「ジャン」になった
ジャン・ギャバンのジャンだ
「おい、ジャン、夕べ見たか? ナニとスウェーデン女がやってたぞ、ナニに乗っかって腰振ってたぞ」
タイ語はもちろん英語もできないがニンの身振り、手振りは、手応えがあり、気を回さずとも理解できた
落とすのと盗まれるのを心配し、現金は持って行かなかった
オランダ人アベックが仲良くビールを飲むのを目にするたび激しく後悔した
ある区間を、ぼくを除いた参加者は象に乗った
雨季は明けきっておらず、象たちの歩いたあとはどこもかしこもぬかるみで膝までずべり込み、足裏でビーチサンダルを探らねばならなかった
夕方シャワーを浴びれば包皮の中にまで泥が忍び込んでいた
そういえばツアー会社で代金を払った時、象に乗ることを「強く、しつこく」勧められたのだ
次の日からヒトチが、履いていた運動靴を貸してくれた
今度は靴擦れで参った
ドイツ人は毎晩阿片を吸った
最後の夜は量が過ぎ、長い時間、のたうち回っていた
解散場所で荷台付き乗用車、ロッドグラバรถกระบะを降りた
「ごはんを食べよう」と金髪そばかすのスウェーデン女が寄り添ってきたが、パスした
ナニとのナニが影響してるのは間違いないが、それだけではない
太腿が豊かでない女はタイプでないのだ
50の頃から夏、何ヶ月か働き、冬をチェンマイで過ごすローテーションが確立した
30代は季節に関係なく、金ができれば来て、尽きれば帰った
PKゲストハウスに宿を取る
「どうして分かるのか?」
日を置かずにニンは必ず現れた
ガイドがない時は暇なのだろう、ベッドに勝手に横たわり時をやり過ごすのだ
追い出しは、しなかったが歓待もしなかった
ヒトチは刑務所だ
クスリでやられたらしい
ヒトチもトレッキングのあと1度尋ねてきたが、それきりになった
ある時ニンが女連れで来た
「おいらのガールフレンド朝まで600バーツでどうだ」と言う
17くらいだろうか
「セックスフレンドなのか?」とは聞けない
普通はこんなことはしない「女」とのこと
無論、頭から信用したわけではない
これを言えば知性を疑われるのは分かっている
でも、敢えて言おう
「ホントそんなことを商売にしている女にはテンデ見えなかった」
30年以上前だが、当時としても高くはない
だが、断わった
ニンに弱みを握られるのを恐れたのだ
そのまま「はい、さようなら」では大人げないというか、惜しい気がしたので食事に誘った
ぼくを真ん中に挟み、ニンの原付で行った
彼女の太腿が豊かかどうか、確かめる冷静さはなかった
<天婦羅そば>のそば抜きは<天抜き>だ
タイの麺<クィティオ>にも麺抜きがあり、ガオラオเกาเหลาと言うのを知った
それを肴に「メコンウイスキー」の丸瓶グロムกลมを飲んだ
飲んでるうちに「勿体ないことをしてしまった」という思いにどんどん捉われていった
だが、男に二言はない
送り届けてくれたあと、彼らは二人乗りで帰っていった
ある時ノンムアイ道路の「ぶっかけ飯屋」で朝飯あと、堀端を歩いていた
「ジャン、ジャン」と呼ぶ声がする
見るとニンが「赤い乗り合い軽トラ」ロッドソーングテーオรถสองแถวの後ろから手を振って「乗れ、乗れ」と合図している なので、乗った
西洋人のカップルもいて、これから「エレファントキャンプ」へ行くのだという
つまりガイドの真似事だろう
車代は、もちろん入場料も出さなかった
誰か代わりに払ったのだろうか?
まずは食事となった
食べたばかりだし、こいうところの酒は高いが奮発し缶ビール3本と、メコンの量り売りを一杯だけ飲んだ
それから「象のショー」を見物した
トイレを捜しているうちに戻るのが面倒になり、そのまま帰ってしまった
象キャンプは幹線道路をそれて、5Kほど入った所にある
通常乗り合い軽トラは走っていない
朝方乗ってきたのは貸し切りだ
1時間かけて107号線まで歩き、黄色のチャングプアクバスターミナルまで行く乗り合い軽トラをつかまえて帰った
夕方、ニンがやって来た
「どいうことだよ、 ちゃんといるじゃないか、 今まで探しまくっていたんだぞ!」
めずらしく怒りを露わにして言う
「川に落ちたんじゃないかって、ファランの2人とあっちこっちを、何で黙って帰ったんだよ」
素直に謝った
ニンのような奴は心配なんか、しないだろうと踏んだが、大いなる誤解だったようだ
「タートン」のニンの家に行ったことがある
川向こうはチェンライ県、対岸に渡る船着き場があるので有名な所だ
ただニンの家から川は見えなかった
高床式住居だったような気がするが、1泊したのか2泊したのかそれさえあやふやだ
クワンカーマー寺のデックワットเด็กวัดピーター(純然たるタイ人)も同行した
デックワットは寺に居候する代わりに雑用をこなす少年を指す
ピーターはいったいいくつなのだろう?
PKゲストハウスへもニンと2度来たことがあり、2人でベッドを占領し昼寝を決め込んでいた
現在はチャングプアクのバスターミナルから直通バスが運行しているが、当時は「ファーン」止まりで乗り合い軽トラに乗り換えねばならなかった
ファーンで腹ごしらえを済ますと2人は置屋へ出かけて行った
ちょんの間が30バーツと言う
チェンマイの街中にも50バーツのがある
田舎は安い
誘われたが行かなかった そいうところへは1人で行くのが「ポリシー」だ
クィティオ屋で「メコン」の平瓶ベーンแบนを傾けながら待った
ショートタイムのくせに、なかなか戻って来なかった
タートンにたどり着くまで、ニンに頼んで軽トラを止めてもらい、2度立ちションをした
さて両親と会ったのかどうか?
まさか誰もいなかったということはあるまい
覚えていることは、ほとんどない
ウイスキーは手放さなかった
ナニより上なのか下なのかもう1人兄さんがいて、しっかりと化粧を施した写真を見せてもらった
ナニは結婚して日本にいるらしい
日本から来た手紙を見た
タイ語はチンプンカンプンだが、住所だけ日本語で長蔵小屋内とあった
「近くにお祭りが来てる」とのことで出かけた
近くはなかった
10Kは離れていたろう
テント張りの店が立ち並び、仮設の置屋まであった
例によって誘われたが、拒否した
迷子になるのを心配したのだろう、今回は2人ともヤラなかった
ちなみに3人の往復運賃は全額ぼくが払った
「あたり前田のクラッカー」だがPKゲストハウスの部屋にテレビはない
ぼくはトランジスタラジオを持ち歩くような男でもない
酒を飲む夕方までの時間を潰すには本を読むしかない
なので週1のペースで以前は、ナイトバザールのとば口にあった貸本屋「ナンシーブック」に通った
チェンマイの地図を見るとほぼ中央に、正方形がある
それが旧市街で右辺の真ん中が、ターペー門になる
そこから内堀通り上方100mにPKゲストハウスはあり、越して来たナンシーブックは下方100m地点の、のたくった路地を正方形へ100m入った場所にあった
経営してるのはナンシー(純然たるタイ人)と結婚したワタナベさんで、隣はサクラという食堂になっていた
ワタナベさんから「君はかなり排他的だよね」と言われたことがある
PKゲストハウスは2階建て
2階に上がってすぐにテーブルが置いてあり、そこが日本人の溜まり場になっていた
2階を借りた時も、日本人が屯するテーブルは素通りした
本を借りたあと、サクラでメコンを片手に「将棋」を指すのが恒例となった
その誰ともサクラ以外で、顔を合わせることはなかった
1度日本へ帰り、また戻ってきたある日
将棋相手のワタナベさんに
「さっきから君をちらちら見ている男がいるよ」と言われた
通りに目をやるとニンだった
「見るからに山岳民族って感じだね」とも言った
そうか「ニンは山岳民族なのか」
だからガイドをしているのか、と妙な感心をした
サクラの2軒手前はテラス形式のレストランになっていた
ニンはそこで働くかたわら「トレッキングの参加者を募っている」と言う
翌々日、その店でメコンより1ランク上の「サングティップ」の丸瓶を飲んだ
同じテーブルに座りはしたが「仕事中だから」とニンは飲まなかった
5分の4ほど空けたのは覚えている
あとは空白だ
気がつくと、タニン裏のアパートのベッドの上だった
おまけに床には吐いた残骸があった
ニンからの音沙汰はなかった
ナンシーブックへの行き帰り、店の中を覗いた
ニンを見かけることなく、店は潰れた
チェンマイだけでなくバンコクでも、部屋を借りたことがある
スクムビット通りをチョンブリ方面に向かいバンナーの交差点を横切った左手にあった
「日本人会」で本を貸し出しているのを知り、暇を持て余すと、渋滞覚悟でバスに乗り「サートゥン通り」へ出かけて行った
そのあとはタニヤの「サウナ、エスポ」にしけ込む
シーロム通りがラーマ4世通りに突き当たる角っこはロビンソンデパート
地下は食料品売り場になっていた
その辺りをぶらぶらしていると、きっと小学生くらいの子供がスーパーのレシートをひらヒラちらつかせながら近づいてくる
「買え」ということなのだろう
その日も接近してきた少年を振り払うように歩いて行くと、
男とすれ違った
男は、ぼくを見て笑いかけたような気がした
「あれっ! 今のはドムリーじゃなかったか?」
と、すれば一気に身長が伸びたことになる
振り返ったが、地下へ降りていってしまったのか、青年の姿は、影も形もないのだった
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