2020年10月19日月曜日

山田太一の5本 その3 ながらえば冬構え今朝の秋

 11段目8番

ドムリー



チェンマイで初めて借りたアパートは、チョタナ通りからタニン市場を通り抜けて100m先にあったが、それまではPKゲストハウスが定宿だった

その頃は、まだ観光気分が滞っていて4泊5日のトレッキングに紛れ込んだりした

ぼくよりちょっと年下のオランダ人カップル、ちょっと上のドイツの男、30過ぎのスウェーデン年増、あとふたりか3人いたかもしれない

ガイドは25、6のナニがリーダーでヒトチという20前後の奴、14と自称するナニの弟ドムリーの3人だった

14歳が本当ならベビーフェイスもいいところで、身体も小さいから小学低学年にしか見えない

「日本人だ」と言ったらいきなりニンジャになった

ドムリーという名はあとで知ったが、本名だろう

タイ人はニックネームで呼び合う、それを聞き取る能力はなかった

呼びかける必要がある時は対抗上こっちも「ニンジャ」とした

ある時「ニン」と省略したら、心得たもので「ジャー」と返してきた

ニンとジャーを数回繰り返したあと、ジャンになった

ジャン・ギャバンのジャンだ

「おい、ジャン、夕べ見たか? ナニとスウェーデン女がやってたぞ、ナニに乗っかって腰振ってたぞ」

タイ語はもちろん英語もできないが、ニンの身振り手振りは手応えがあり、気を回さずとも理解できた

落とすのと盗まれるのを心配し現金は持って行かなかった

オランダ人アベックが仲良くビールを飲むのを目にするたび激しく後悔した

ある区間を、ぼくを除いた参加者は象に乗った

雨季は明けきっておらず、象たちの歩いたあとはどこもかしこもぬかるみで膝までずべり込み、いちいち足裏でビーチサンダルを探らねばならなかった

夕方シャワーを浴びれば包皮の中にまで泥が忍び込んでいた

そういえばツアー会社で代金を払った時、象に乗ることを強く、しつこく勧められたのだ

次の日からヒトチが、履いていた運動靴を貸してくれた

今度は靴擦れで参った

ドイツ人は毎晩阿片を吸った

最後の夜は量が過ぎたのか、長い時間、のたうち回っていた

解散場所で荷台付き乗用車、ロッドグラバรถกระบะを降りる

「ごはんを食べよう」と金髪そばかすのスウェーデン女が寄り添ってきたが、パスした

ナニとのナニが影響してるのは間違いないが、それだけではない

太腿が豊かでない女はタイプでないのだ

50の頃から夏4、5月働いて冬をチェンマイで過ごすローテーションが確立した

30代は季節に関係なく、金ができれば来て、尽きれば帰った

PKゲストハウスに宿を取る

どうしてわかるのか日を置かずにニンは必ず現れた

ガイドがない時は暇なのだろう、ベッドに勝手に横たわり時をやり過ごすのだ

追い出しはしなかったが歓待もしなかった

ヒトチは刑務所だ クスリでやられたらしい 

ヒトチもトレッキングのあと一度尋ねてきたが、それきりになった

ある時ニンが女連れで来た 

「おいらのガールフレンドだ、朝まで600バーツでどうだ」と言う

17くらいだろうか

「セックスフレンドなのか?」とは聞けない

普通こんなことはしない女、とのこと

無論頭から信用したわけではない 

これを言えば知性を疑われるのはわかっている でも敢えて言おう

ホント、そんなことを商売にしている女には、てんで見えなかった

30年以上前だが、当時としても高くはない

だが断わった

ニンに弱みを握られるのを恐れたのだ

そのまま「はいさようなら」では大人げないというか、惜しい気がしたので食事に誘った

ぼくを真ん中に挟み、ニンの原付で行った 

彼女の太腿が豊かかどうか、確かめる冷静さはなかった

天婦羅そばのそば抜きは天抜き

タイの麺クィティオにも麺抜きがあり、ガオラオเกาเหลาと言うのを知った

それを肴にメコンウイスキーの丸瓶グロムกลมを飲んだ

彼女は飲んだのかどうか?

飲んでるうちに勿体ないことをしてしまったという思いにどんどん捉われていった

が、男に二言はない

送り届けてくれたあと、彼らは二人乗りで帰っていった

ある時、チャングモイ通りのぶっかけ飯屋で朝めしを済ませ、堀端を歩いていた

「ジャンジャン」と呼ぶ声がする

見るとニンが赤い乗り合い軽トラ、ロッドソーングテーオรถสองแถวの後ろから手を振って「乗れ、乗れ」と合図している なので、乗った

西洋人のカップルもいて、これからエレファントキャンプへ行くのだという 

つまりガイドの真似事だろう

車代はもちろん入場料も出さなかった

誰か代わりに払ったのだろうか?

まずは食事となった 

食べたばかりだし、こいうところの酒は高いが、奮発して缶ビール3本と、メコンの量り売りを一杯だけ飲んだ

それから象のショーを見物した

トイレを捜しているうちに戻るのが面倒になって、そのまま帰ってしまった

象キャンプは幹線道路をそれて、5Kほど入った所にある

通常乗り合い軽トラは走っていない 朝方乗ってきたのは貸し切りだ

1時間かけて107号線まで歩き、黄色のチャングプアクバスターミナルまで行く乗り合い軽トラをつかまえて帰った

夕方、ニンがやって来た

「どいうことだよ、 ジャン、 ちゃんといるじゃないか、 今まで探しまくっていたんだぞ!」

めずらしく怒りを露わにして言う

「川に落ちたんじゃないかって、(そういえば小さな流れがあった)ファランのふたりとあっちこっちを 何で黙って帰ったんだよ」

素直に謝った 

ニンのような奴は心配なんかしない、だろう、と踏んだのがおおいなる誤解だったようだ

タートンのニンの家にも行ったことがある

川の向こうはチェンライ県、対岸に渡る船着き場があるので有名な所だ

ただニンの家から川は見えなかった

高床式住居だったような気がするが、1泊したのか2泊したのかそれさえあやふやだ

クワンカーマー寺のデックワットเด็กวัดピーター(純然たるタイ人)も同行した

デックワットは寺に居候する代わりに雑用をこなす少年を指す

ピーターはいったいいくつなのだろう?

PKゲストハウスへもニンと2度来たことがあり、ふたりでベッドを占領し昼寝を決め込んでいた

現在はチャングプアクのバスターミナルから直通バスが運行している

当時はファーン止まりで乗り合い軽トラに乗り換えねばならなかった

ファーンで腹ごしらえを済ますとふたりは置屋へ出かけて行った

ちょんの間30バーツなのだと言う チェンマイの街中にも50バーツのがあるが田舎は安い

誘われたが行かなかった そいうところへはひとりで行くのがポリシーだ

クィティオ屋でメコンの平瓶ベーンแบนを傾けながら待った

ショートタイムのくせになかなか戻って来なかった

タートンにたどり着くまでに、ニンに頼んで軽トラを止めてもらい2度立ちションをした

さて両親と会ったのかどうか? まさか誰もいなかったということはあるまい

覚えていることはほとんどない

ウイスキーだけは手放さなかった

ナニより上なのか下なのかもうひとり兄さんがいて、しっかりと化粧を施した写真を見せてもらった

ナニは結婚して日本にいるらしい 日本から来た手紙を見た

タイ語は読めなかったが住所だけは日本語で長蔵小屋内とあった

近くにお祭りが来てるとのことで出かけた 

近くはなかった 10Kは離れていたろう

テント張りの店が立ち並び仮設の置屋まであった 例によって誘われたが拒否した

迷子になるのを心配したのか、今回はふたりともヤラなかった

ちなみに3人の往復運賃は全額ぼくが払った

あたり前田のクラッカーだがPKゲストハウスの部屋にテレビはない トランジスタラジオを持ち歩くような男でもない

酒を飲む夕方までの時間を潰すには本を読むしかない

なので週1のペースで以前はナイトバザールのとば口にあった貸本屋ナンシーブックに通った

チェンマイの地図を見ると中央にほぼ正確な正方形がある それが旧市街で右辺の真ん中がターペー門になる 

そこから内堀通り上方100mにPKゲストハウスはあり、越してきたナンシーブックは下方100m地点の、のたくった路地を四角の中へ100m入った場所にあった

経営してるのはナンシー(純然たるタイ人)と結婚したワタナベさんで、隣はサクラという食堂になっていた

ワタナベさんから「君はかなり排他的だよね」と言われたことがある

PKゲストハウスは2階建て、2階に上がってすぐにテーブルが置いてあり、そこが日本人の溜まり場になっていた

2階を借りた時も日本人がたむろするテーブルは素通りした

本を借りたあと、サクラでメコンを片手に将棋を指すのが恒例になった

その誰ともサクラ以外で顔を合わせることはなかった

1度日本へ帰り、また戻ってきたある日

将棋相手のワタナベさんが「さっきから君をちらちら見ている男がいるよ」と言った

通りに目をやるとニンだった

「見るからに山岳民族って感じだね」とも言った

そうかニンは山岳民族なのか、だからガイドをしているのか、と妙な感心をした

サクラの2軒手前はテラス形式のレストランになっていた

ニンはそこで働くかたわらトレッキングの参加者を募っている、と言う

翌々日、その店でメコンより1ランク上のサングティップの丸瓶を飲んだ

同じテーブルに座りはしたが仕事中だからとニンは飲まなかった

5分の4ほど空けたのは覚えている あとは空白だ

気がつくと、タニン裏のアパートのベッドの上だった 

おまけに床には吐いた残骸があった

アパートを借りたのだ

ニンからの音沙汰はなかった

ナンシーブックへの行き帰り店の中を覗いた

ニンを見かけることはなく、やがて潰れた

チェンマイだけでなくバンコクでも部屋を借りたことがある

スクムビット通りチョンブリ方面に向かい、バンナーの交差点を横切った左手にあった

日本人会で本を貸し出しているのを知り、暇を持て余すと、渋滞覚悟でバスに乗りサートゥン通りへ出かけて行った

そのあとはタニヤのサウナ、エスポにしけ込む

シーロム通りラーマ4世通りに突き当たる角っこはロビンソンデパート

地下は食料品売り場になっていた

その辺りをぶらぶらしていると、きっと小学生くらいの子供がスーパーのレシートをひらひらちらつかせながら近づいてくるのだった

買えということなのだろう

その日も接近してきた少年を振り払うように歩いて行くと、

男とすれ違った

男はぼくを見て笑いかけた

ような気がした

「あれっ!いまのはドムリー(なぜかニンではなく本名が踊り出てきた)じゃなかったか?」

とすれば一気に身長が伸びたことになる

振り返ったが、地下へ降りていってしまったのか、青年の姿は影も形もないのだった






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