2020年10月16日金曜日

山田太一の5本 その1 それぞれの秋

 11段目6番

エッコちゃん


近所で初めてテレビを入れたのは路地一本隔てた名無しさんの家だ
それからうちがテレビを買うまでどのくらいの時間差があったのだろう?
大村崑の<とんま天狗>は名無しさんちの縁側から見た
あの頃、夏休みには町内レクレーションと称した組内の日帰りバス旅行があった
阿字ヶ浦とか幕張の海水浴場へ行った
まったく記憶にないが将棋覚えたての頃
バスの中でエッコちゃんのおかあさんにせがんで将棋を指し、負けてしくしく泣いたのだという
名無しさんちには子供が三人いた
末っ子がエッコちゃんでぼくより二歳年上だった
エッコちゃんのお兄さんとお姉さんは勉強ができ、県内一の進学校に進んだが、二人の名前は忘れてしまった
またバスの中に戻る、調子に乗って
「かあちゃんが申で、ばあちゃんが戌だから、二人は仲が悪いのだ」
と口走ったら 
「ひでおちゃんは頭がいい」
と褒めてくれたのもエッコちゃんのおかあさんだった

下の姉と缶詰を前に缶切りが見つからず困っていた時、結局名無しさんちから借りようということになった
姉がエッコちゃんを伴って引き返してきた
エッコちゃんの目の前で缶詰を開け、缶切りを返し、お裾分けもせずに、そのままバイバイをした
エッコちゃんは不二家のお菓子のキャラクターほっぺたをいっぱいにして笑って見せる女の子にそっくりだった
ぼくが小学校五年の時、エッコちゃんのおとうさんが事件を起こした
もう組内のバス旅行はなくなっていたと思う
名無しさんちの周辺がひっそりとした感じになったのは否めなかった

よしだたくろうが「元気です」をリリースしたのは高校二年だ
「あれっ、いつのまにたくろうを掛けたんだろ?」
訝っていると「春だったね」は隣の名無しさんちから聞こえて来るのだった
土曜日や日曜の午前中はよく「元気です」の競演になった
隣から「旅の宿」が聞えて来ると、ここぞとばかりに窓を開け
「たどり着いたらいつも雨降り」のボリュウムを上げた
ある日の夕方、エッコちゃんが我が家を訪ねてきた
「この前たくろうのコンサートに行ったんだけど、写真が出来上がってきたから」
ステージで歌うたくろうの写真が三枚引き延ばされ、白い大きな封筒に入れられていた
名無しさんちは、ぼくが上京した何年かあとに引っ越して行った
おとうさんの刑期があけるのを待って越したのだという




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