2020年10月14日水曜日

山田太一の3冊 その3 見えない暗闇

 11段目5番

8っちゃん


やっちゃんはぼくに懐いでいた
やっちゃんには両親と妹とがいたが、おとうさんは離婚するか死ぬかして周辺から知らぬ間にいなくなっていた
やっちゃん一家はある時期、ぼくの家の隣の借家に住み、そこには風呂がなかったので、風呂をたてると親子三人で入りに来た
一緒に入ったこともあった
そんなことで付き合いが始まった
お風呂の時だけでなく、やっちゃんは頻繁に我が家に出入りした
やがてやっちゃん一家は東中学校の方に引っ越して行き、疎遠になった

引っ越す前の話だ
名無し坂を降りて左に曲がると今はシノハラ電気店だが、昔はただの原だった
そこで素振りをしていた 
振りぬいたバットが、いつのまにか後ろに来ていたやっちゃんの頭を打った
血は流れなかったが、広い範囲に滲んだ
やっちゃんは大声で泣いたが、ぼくを責めるそぶりは見せなかった
どうしていいか分からなかった
穴があったら入りたかったが、穴はなかった
放っとくわけにもいかず意をし、おかあさんが働く福田ガラス店に連れて行くことにした
道中、逃げられたりしたら大変と思ったのか、やっちゃんは手を強く握って離さなかった

ぼくが四年生になると、やっちゃんが入学してきた
校内で見かけることはあったが言葉は交わさなかった
一度渡り廊下のところですれ違ったやっちゃんが「ひでおちゃん」と呼びかけ、また駆け戻ってきたことがある
やっちゃんは蹴躓き転んしまったのだが、記憶はそこでプッツンしている

高校生になった
中学の野球部の仲間に誘われ後輩の練習を見に行った
その中にやっちゃんがいた 
やっちゃんはぼくを認め照れくさそうだった
野球部に入ったのは兄を真似てだが、やっちゃんはぼくを真似たのではないか
その年の夏休み「やっちゃんの勉強を見て欲しい」とおかあさんに頼まれ引き受け
最初の日、「野球部は辞めたのだ」となんだか怒ったみたいに言った
やっちゃんは石原慎太郎と同じ、目をぱちぱちさせるチック症
けれど一ツ橋を出、都知事になり、小説家でもある慎太郎のように勉強はできなかった

8という数字を左上から書き始めたのには驚いた
普通は右上から書き始め、に向かい右下に降り、また左に寄り、元のところへ戻ってくる
中学生にもなってまともな8の字も書けないのか、という呆れた驚きではない
水戸黄門にいきなり印籠を突きつけられたような驚きだ
その8の字の書き方は小学に上がる前のやっちゃんに、ちらし広告の裏を使って押し付けがましく、ぼくが教えたのだ
へんてこな8の字を書いていたもんだが、中学の時には、普通に8の字を書いていた
出かけようと靴を履いた時、やっちゃんのおかあさんから電話があり「熱を出したので別の日にしてほしい」と言われた
別の日はやって来なかった 
やっちゃんとはそれきりになった 
三回教えただけだった

「間違って教えちゃったけど、正しい8の字はこう書くんだよ」
と告白する機会は、失われた
田中典子先生という詩の中で、年齢差というものはどちらかが死なない限り広がりも縮まりもしない、と書いたがこれはおかしい
兄はぼくが五十二の時六十一で死んだ
そして今五十八だが、ぼくと兄との年齢差は三歳ではなく、九歳のままなのではないか
年齢差はどちらが死んでも変わりはしない
この場を借り、お詫びし、訂正します
生きていればやっちゃんは五十五でぼくと三歳違いだが、
どんなふうに8の字を書くのかは
知らない





 

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