2020年8月31日月曜日

ポール・ニューマンの5本 その1 左ききの拳銃

 10段目1番

日光和楽踊りの夜

 
 
動物園で「象の鼻の穴」を見ていたらボッキしてしまい、それをデートの相手に感づかれ、どう対処すべきか途方にくれたというスズキヤスオから

「大学3年の夏休みは日光プリンスホテルで働くことにしました 伝手があるので君も一緒にどうですか? 」
という葉書が届いた

ヤスオちゃんは大学生だが、ぼくはそうではない
高校卒業後は手を替え品を替えバイトを替え、ひたすらフラフラしていた
最初はヤスオちゃんと同じチップがもらえるベルボーイだったが、幾日もしないうちにチップのもらえぬ部屋の掃除に回された

「あさっては日光和楽踊り、都合がつくなら降りてこいよ」
という電話が<サントリーレッドの青春>に登場した真ちゃんからあった
東武日光駅から歩いて2分半のところにぼくの家はあり、さらに5キロ歩けば母校の日光高校、もっともっと進むと和楽踊りが行われる古河電工日光精銅所へたどり着き、進み続ければいろは坂、上りきると 中禅寺湖で、その湖畔に日光プリンスホテルはあった

精銅所が元気だった頃、日光和楽踊りは最重要行事で、周辺に住む人にとっては正月よりも大きなイベントだった
初めて冷やし中華を食べたのも和楽踊りの夜だった
「やったことないから上手くできないかも知ンネ」
と言いながら71で死んだ母が作ってくれた

あの晩隣で食べていた少女は、いったい誰だったのだろう?
和楽踊りの2日間だけ一杯飲み屋に変身する、普段は自転車の修理をする店で
「あん時のよりおいしい冷やし中華は、まだ食ったことがないのだ」
と熱く真ちゃんに語るのだった

に登って「俺にも歌わせろ」
と駄々をこねたのは、真ちゃんと、はぐれる前だったか後だったか?
高校生のカップルにちょっかいを出したのは、真ちゃんを捜すのを諦めてからだ
胸か尻を触ったかも知れない 
もちろん女の方のをだ
男が憤怒するのを目の当たりにすると逃げ出していた
だが下駄履きだった 
途中で脱ぎ捨てたが、追いつかれボコボコにされた
先輩をボコボコにするとは「いったい如何なる料簡か!」と憤懣やるかたなかった

制服ではなかったし何の根拠もないが、あの2人は日高生に違いない
後輩にいいようにされたことに、櫓で歌えなかったことに、合点がいかなかった 
いつしか日高まで、目と鼻の距離になっていた 
手前の交番にしけこみ、事の成り行きを滔々と述べ立て「逮捕すべきだ」と訴えた
あの時おまわりは2人もいたのに、どちらも相手にしてくれなかった

そんなこんなで家まで帰るのが億劫になった
正義に反する気もした
つまり正義感が、母校の正面玄関の一枚ガラス戸をブチ割ったのだ
門を乗り越えた記憶はない
閉める習慣がなかったか、閉める前だったのだろう

肩口を突付かれる感触に目を開けると、制服の警官が立ってい
ガードマンの制服が、後ろでかしこまっている
寄せ集めた机の上で眠っていた
3年3組だったのに、なぜか3年1組の教室だった

92で死んだ父は「警察に通報」した警備員を非難した
「まあ、マニュアル通りにしたのだろう」
手錠こそされなかったがパトカーに乗せられ日光警察署に連行された

呆れるほど長い時間をかけ調書を取り終えると、61で死んだ兄が身柄の引き取りに来た
持ってきた履物がスリッパだった
裸足だったが、こうして日本国民である証として日光和楽踊りの翌朝、自らの責任でもって指紋の登録を無事済ませたのである

日光プリンスはそのまま辞めた
ガラス代の弁償には、直接出向いた 
知った先生は1人もおらず拍子抜けしたのを覚えている 
3千なにがしかをキャッシュで払った

ヤスオちゃんは元気でいるだろか
最後に会ったのは確かM君のおとうさんの葬式の時だった
その前がY君のおかあさんの葬式だ

何を隠そうY君とはヤスオちゃんのことだ
親しい仲間のお父さんお母さんは、あらかた片がついた
5年以上、誰とも会う機会に恵まれていない
そして折に触れ残念に思うのだ
ヤスオちゃんが結婚した相手は象の鼻の穴勃起事件」の時の彼女ではない





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