2020年6月1日月曜日

佐藤愛子の5冊 その1 血脈

8段目2番
土踏まずエレジー


土踏まずはかなしい
土踏まずは土が踏めない
コンクリートもアスファルトも踏めない
踏めるのは道端に転がってる小石か犬の糞くらいのものだ
裸足で走り始めてから、おいらの走力は飛躍的にアップした
走り終わったあと汚れてない部分が土踏まずだ
なのだが、洗う時、洗い落としているのは土踏まずのような錯覚に陥る
「これが右足の親指だ」と指し示すことに躊躇はない
が、土踏まずとなると「どうも」なんだかね
 
検索すると
「足裏のアーチ形状で片足に三箇所、厳密に言えば四箇所あり」
なんて出てくるんだもんなあ
ただ、衝撃を吸収しバランスをとるセンサーだ、というのは分かる
腰から土踏まずを結ぶ二本の線がヒトの二本足走行を美しいものにしている

王貞治の一本足打法の完成は、左足の土踏まずで立てたことにある
いや、土踏まずで体を支えているのだと王が認識できた時にある
おいらも着地する時、土踏まずでと思うのだが、土踏まずに意識を集中するのは至難の業だ
今のところ走りながら数を数えることでお茶を濁している

土踏まずは曖昧なのだ
同じようの世の中も曖昧だ
世の中が曖昧なのはきっと世の中のせいではあるまい
おそらく誰のせいでもない
もちろん土踏まずのせいでもない
おいらが曖昧なのはおいらのせいだが
おいらの土踏まずが曖昧なのはおいらのせいではない

土踏まずはかなしいのだ
この世が不条理不合理ふしだら理不尽でたらめまやかしに満ち満ちていることが
曖昧な輪郭でもって、くっきりと
かなしいのだ






0 件のコメント:

コメントを投稿