トートバッグ
最近小説を読んでいるとトートバッグという言葉が
あちらこちらに登場する
それほど大きなモノでなく、背負込むスタイルでもない
くらいのことは分かる
この前、姉から一応の説明を拝聴したが
忘れてしまった
きっと真剣に聞いていなかったのだ
正しく知りたいという欲求が湧いてこない
新聞を読んでも意味不明の言葉が次々と
立ち現れてくるが
放って置く
だからって人生に、生活に
支障はない
今ほどではないが小さい頃から、分からないモノやコトと出会っても
そのまま棚上げしておく傾向があった
だからなのか、安倍の言ってることがさっぱり理解できない
安倍晋三のような男が、この世に存在できてることが不思議でならない
パソコンをいじっていると、こちらが望んだわけでもないのに
いろいろな画面が突如として表出する
その画面が何を言わんとしてるのか
ほとんど分からない
それでもブログを作り
このように打ち込むことはできる
トートバッグの形が分からなくても
小説に入り込むことはできる
昔、このサイトにパパラギという詩を書いた
大昔に会って、別れた人とのことを書いたのだ
ぼうさんは
渋谷道玄坂ガード脇の居酒屋「ちっちゃな赤鬼」に時々現れる国学院は映研の学生だった
例によって厨房で一杯やりながら働いているうちに、あっけんからんと酔ってしまい
「ぼくはあなたのファンです」
と口走ると
「是非デッサン展に来てください」
ってことになった
日を置かず吉祥寺の喫茶店ブルーゾーンへ駆けつける
ぼうさんはいなかったが、落書き帳があった
折り紙たたんで、はさみで切り抜き、あの娘に送ろう
あの娘が開くと、ぼくの模様がごあいさつ
幼稚園の時、描いた絵はいつも同じ、海があって、船があっ
て
船には段々をつけて、いちばんてっぺんに、日の丸の旗
そして、色とりどりのテープが舞う ひとは乗ってない、ひ
となんていない
と、書き
その通りの絵を、用意されてあった色鉛筆で描いた
そこのママさんに、なぜかぼくの評判頗る良くて
それがつき合いの始まりだった
そして最後の日、去っていく彼女はいつものように肩からバッグを吊るしていた
名前が分からないので
(ただ、会うと肩から提げていた、入り口の広い逆台形の少し大きめのバッグの柄と色は、今も目にやきついている)
というような表現した
拙くてどんなバッグなのか伝わってないかもしれない
トートバッグと書き記しても、差し支えないような気はする
調べれば名前くらい分かるかもしれないが、一生しないだろう
だって今
そいつは手に取るように
「ここに」
あるんだから
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