パパラギ
電話を使わず手紙のやりとりだけでデートを段取りする、細々としたつきあいが三年以上続き
どちらからともなく連絡が途絶え、三年近く経った頃
彼女から借りっ放しになっていた<パパラギ>という小さな本が引き出しの奥から姿を現した
「これは啓示だ」と思った
早速便箋に六行ほどの文章を添え、送り返す
<電話>と<彼、彼女>という表現は、「嫌いだ」と二人の意見は一致していたので、ここでは便宜上ぼうさんと呼ぶ
日を置かず、ぼうさんから返事がきた
「実は新婚ホヤホヤなのです」とあった
五十を機にそれまでの日記と取ってあった手紙は燃してしまったから、ここに内容の再現はできない
きっと、ぼうさんは「結婚に失敗した」のに違いなかった
手紙はぼくに救いを求めている、としか読めなかった
104番に問い合わせる
「世帯主の下の名前まで分からないと、番号は告げられない」と言う
一時間半電車に揺られ、手紙にあった何とかコーポを探し当て、だんなの名前を確認した
三日後に電話し「会いたい」と言うとぼうさんはやって来た
燃す前に、ぼうさんからの手紙は一通り目を通した
意外な気がして唯一記憶にあるのが
「この前は、つまらない映画で不愉快な思いをさせ済まなかった」という一節だ
確かにぼうさんの選んだ映画は退屈だったが、そんなことを気にするタイプには見えなかった
気にしたとしても自分の腹に収めておく人、と考えていた
ぼくにはぼうさんの一部しか、見えていなかった
だがそのことは、人が人と出会って別れるのに
人が人を好きになるのに、何の不都合にもならない
一目見て、
ぼうさんは不幸な結婚などしていない、と悟った
助けなど、乞うてはいなかった
腰が引きかけたがひるんでは悔いるだけ、と言い聞かせた
乗りかかった船だ
用意してきたセリフは全部ゲロして楽になるのだ
「一回やりたい やらせて欲しい やった後の責任は持てない やって何を感じ、どう思い、どのような行動をとるかはやってみないと分からないから やって何かを感じ、思った通りに行動したい やれば視界が、ぱあっと広がる気がする」
勝手極まりないセリフだが、ぼうさんが怒ったかどうかは分からなかった
「そういうものにはタイミングがあると思う」
とぼうさんは言ったのだ
それからいくつかの会話をし、店を出て、横断歩道をひとつ渡って別れた
右側に去っていったぼうさんを見送って、二十七年が過ぎた
ぼうさんの顔を思い浮かべることができない
肌の色とか、眉の形、目の輝き、口の在りかた
ひとつひとつなら何とか覚えているのだが
一つに像を結ばない 人の顔になってくれない
ぼうさんの写真は一枚も持っていない
「写真って人の顔を忘れないためには、便利なものなんだなあ」
ただ、会うと肩から提げていた、入り口の広い逆台形の少し大きめのバッグの柄と色は、今も目にやきついている
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